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人物

檀一雄(だんかずお)

小説家、作詞家、料理家。私小説や歴史小説、料理の本などで知られる。生誕 1912年(明治45年)2月3日命日 1976年(昭和51年)1月2日能嶽院殿檀林玄遊居士<< 戻る
寺院

正善寺-栃木県足利市

・正善寺 天台宗 栃木県足利市常見町1-12-15正善寺の阿弥陀如来は、昭和51年に日光山輪王寺より勧請(かんじょう)された仏様です。身の丈約1メートル、当時奈良博物館の館長をされていた石田茂作氏に鑑定していただいた書簡によると、製作は鎌倉中期とされ、日本で最初の仏師とされる定朝様式(じょうちょうようしき)の阿弥陀如来とされています。(リンク先より) << 戻る
人物

角川源義(かどかわげんよし)

実業家、国文学者、俳人。角川書店(現・KADOKAWA Future Publishing)の創立者。俳号は源義(げんぎ)、水羊(すいよう)。 辺見じゅん、角川春樹、角川歴彦の父。富山県中新川郡東水橋町(現富山市)に父・源三郎、母・ヤイの三男として生まれた。父・源三郎は源義誕生時は鮮魚を商っていたが、後に米穀商に転じ成功している。1930年(昭和5年)、富山県立神通中学校(現在の富山県立富山中部高等学校)に入学した。中学入学時に、すでに俳句にかなり深い関心を抱いていた。1945年(昭和20年)11月に東京都板橋区小竹町で角川書店を設立した。既に岩波書店から刊行されベストセラーになっていた阿部次...
人物

棟方志功(むなかたしこう)

板画家。20世紀の美術を代表する世界的巨匠の一人。 青森県出身。川上澄生の版画「初夏の風」を見た感激で、版画家になることを決意。1942年以降、彼は版画を「板画」と称し、木版の特徴を生かした作品を一貫して作り続けた。生誕 1903年(明治36年)9月5日命日 1975年(昭和50年)9月13日華厳院慈航真海志功居士※「海」カイは「毎」の下に「水」がある漢字が使われている。<< 戻る
人物

佐藤栄作(さとうえいさく)

鉄道官僚、政治家。 「政界の団十郎」「早耳の栄作」の異名を持ち、内閣総理大臣として日韓基本条約批准、非核三原則提唱、沖縄返還をなし遂げる。2798日の連続在任記録を持ち、「人事の佐藤」と評された。1974年にノーベル平和賞を受賞した。2020年時点では日本人唯一の平和賞の受賞者である。生誕 1901年〈明治34年〉3月27日命日 1975年〈昭和50年〉6月3日作願院釋和栄周山院殿作徳繁栄大居士<< 戻る
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坂東三津五郎(8代目)(ばんどうみつごろう)

八代目 坂東 三津五郎は、俳優、歌舞伎役者。屋号は大和屋。定紋は三ツ大、替紋は花勝見。青年期より敵役や老役を得意とし、重要無形文化財保持者にも認定されたが、フグ毒にあたって急逝した。生誕 1906年(明治39年)10月19日命日 1975年(昭和50年)1月16日<< 戻る
寺院

圓福寺-新潟県長岡市

・圓福寺 真言宗智山派 新潟県長岡市川袋町989当山は1300年ほどの歴史があり、御本尊大日如来は慈覚大師円仁(794-864年)作です。現在地には350年前に蓮乗ヶ原から移転し、芹川町には圓福寺屋敷があったそうです。本堂は昭和50年、薬師堂は昭和59年に再建されたものです。(リンク先より) << 戻る
人物

三島海雲(みしまかいうん)- カルピスの誕生

明治・大正・昭和時代の実業家。特にカルピス株式会社の創業者として著名。三島海雲は、現在の大阪府箕面市にある教学寺の三島法城の長男として生まれました。西本願寺文学寮で学んだ後、英語の教師になった海雲は、仏教大学(現在の龍谷大学)に編入しましたが、入学後間もなくの1902(明治35)年、大学からのすすめもあり中国へ渡ります。1905(明治38)年から雑貨商の事業を手がけるようになり、ある時、内モンゴルの地を訪れました。長旅の疲れですっかり胃腸が弱り、体調を崩していましたが、酸乳や馬乳酒といった乳酸菌を用いた飲料を飲んでいるうちに胃腸の調子が良くなり、体調も回復したといいます。1915(大正4)年、...
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花菱アチャコ(はなびしあちゃこ)

大正・昭和期の漫才師、俳優。生誕 1897年7月10日命日 1974年7月25日阿茶好院花徳朗法大居士<< 戻る
人物

山本有三(やまもとゆうぞう)

大正から昭和にかけて活躍した日本の小説家、劇作家、政治家。本名は山本勇造(やまもと ゆうぞう)。日本芸術院会員。人道的な社会劇作家として名を成し、『嬰児殺し』『坂崎出羽守』『同志の人々』などを発表。 生誕 1887年(明治20年)7月27日命日 1974年(昭和49年)1月11日山本有三大居士(墓所は近龍寺)<< 戻る
寺院

福祉寺-群馬県伊勢崎市

・福祉寺 単立 群馬県伊勢崎市境東新井224平等山福祉寺は昭和49年に松原日治(まつばらにちじ)初代住職が建立した無宗派の寺です。福祉寺はとても小さな寺ですが皆様に喜ばれるよう活動しております。(リンク先より) << 戻る
人物

松本清(まつもときよし)

千葉県東葛飾郡湖北村(現・我孫子市)出身の実業家、地方政治家。ドラッグストアチェーン日本最大手の「マツモトキヨシ」の創業者。第9代松戸市長在任中の1969年(昭和44年)10月6日に「市役所は『市民に役立つ・役に立つ人がいる所』」を標語に、お役所仕事の打破と市民サービスの向上を目的に、日本初の即応部門『すぐやる課』を松戸市役所に設置し、全国的に報道された。生誕 1909年(明治42年)4月24日命日 1973年(昭和48年)5月21日<< 戻る
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大佛次郞(おさらぎじろう)

小説家・作家。大仏次郎とも書く。神奈川県出身、本名は野尻 清彦。『鞍馬天狗』シリーズなど大衆文学の作者として有名な他、歴史小説、現代小説、ノンフィクション、新作歌舞伎や童話などまでを幅広く手がけた。作家の野尻抱影は兄。生誕 1897年(明治30年)10月9日命日 1973年(昭和48年)4月30日大佛次郎居士<< 戻る
寺院

圓陵寺-山口県下関市

・圓陵寺 天台寺門宗 山口県下関市椋野町1-26-46昭和初期:初代住職 円正により開山「圓陵寺」と称す。昭和48年:二代住職 円勝により、鐘つき堂建立昭和56年:現在の本堂を再建(リンク先より) << 戻る
人物

東海林太郎(しょうじたろう)

歌手。ロイド眼鏡・燕尾服を着用し直立不動の姿勢で歌うという特徴があった。1965年、紫綬褒章受章。生誕 1898年(明治31年)12月11日命日 1972年(昭和47年)10月4日聲楽院釋太朗大居士<< 戻る
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ジグミ・ドルジ・ワンチュク – 第3代ブータン国王

ジグミ・ドルジ・ワンチュクは、第3代ブータン国王。第3代国王の20年の統治期は、近代国家としてのブータンの国際社会への出現に象徴される変革の歴史である。従来の鎖国政策を取りやめ、政治的統一、宗教的・社会的基盤の強化、経済発展などの実績から、「近代ブータンの父」と呼ばれ、現在でも国民の敬愛を受けている。外交面では、本格的な国際社会への参加を意味する国際連合加盟を果たした。ブータンの国際社会参加は1962年のコロンボ計画参加に始まる。1970年にインドの後押しを受け、国際連合加盟を申請。1971年7月21日正式に国際連合への加盟が承認された。ブータン古来の伝統文化を尊重し、ゾンカ語を国語に制定し、...
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川端康成(かわばたやすなり)

小説家、文芸評論家。1968年、ノーベル文学賞受賞。大阪府出身。東京帝国大学国文学科卒業。代表作『伊豆の踊子』(1926年)、『浅草紅団』(1929-30年)、『抒情歌』(1932年)、『禽獣』(1933年)、『雪国』(1935年-1948年)、『千羽鶴』(1949年)、『山の音』(1949年)、『眠れる美女』(1960年)、『古都』(1961年)など。生誕 1899年(明治32年)6月14日命日 1972年(昭和47年)4月16日文鏡院殿孤山康成大居士<< 戻る
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金田一京助(きんだいちきょうすけ)

言語学者、民俗学者。日本のアイヌ語研究の本格的創始者として知られる。國學院大學教授を経て東京帝国大学教授、國學院大學名誉教授。日本学士院会員。日本言語学会会長。東京帝国大学より文学博士。栄典は従三位・勲一等・瑞宝章・文化勲章。盛岡市名誉市民。歌人・石川啄木の親友であったことでも有名。生誕 1882年〈明治15年〉5月5日命日 1971年〈昭和46年〉11月14日寿徳院殿徹言花明大居士<< 戻る
人物

志賀直哉(しがなおや)

明治から昭和にかけて活躍した日本の小説家。白樺派を代表する小説家のひとり。「小説の神様」と称せられ多くの日本人作家に影響を与えた。代表作に「暗夜行路」「和解」「小僧の神様」「城の崎にて」など。宮城県石巻生まれ、東京府育ち。生誕 1883年(明治16年)2月20日命日 1971年(昭和46年)10月21日<< 戻る
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山下清(やましたきよし)

画家。代表作に、「花火」、「桜島」、「東海道五十三次」など。生誕 1922年(大正11年)3月10日命日 1971年(昭和46年)7月12日<< 戻る
寺院

龍玄院-広島県東広島市

・龍玄院 真言宗 広島県東広島市西条町上三永643-3「ご先祖様の供養を大切にし、正しい信仰の道を真に理解し、信心を深めていく」という理念の下昭和46年6月、石鎚蔵王大権現を勧請し、呉市平原町に『龍玄院』として創設しました。(リンク先より) << 戻る
人物

山口蓬春(やまぐちほうしゅん)

画家。北海道松前郡松城町(現・松前町)生まれ。本名、三郎。1913年に東京府(現東京都)高輪中学校を卒業後、東京美術学校(現東京芸術大学)に進学。代表作「三熊野の那智の御山」「緑庭」など多数。生誕 1893年10月15日命日 1971年5月31日俶徳院殿温岳蓬春大居士<< 戻る
人物

横山エンタツ(よこやまエンタツ)

大正・昭和期の漫才師・俳優。本名:石田 正見。花菱アチャコとのコンビによって、それまでの「萬歳」に代わる現在の「しゃべくり漫才」のスタイルを発明し、今につながる漫才の形式の基礎を作った。漫才作家秋田實のよき相談者として上方漫才、喜劇の興隆に大きく貢献した。生誕 1896年4月22日命日 1971年3月21日<< 戻る
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喜多六平太(14世)(きたろっぺいた)

十四世喜多六平太は、喜多流シテ方能楽師で、喜多流十四世宗家。能の文化的向上に多大な影響を与え、文化勲章・人間国宝(正式には無形文化財保持者)。生誕 1874年(明治7年)7月7日命日 1971年(昭和46年)1月11日<< 戻る
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三島由紀夫(みしまゆきお)

小説家・劇作家・随筆家・評論家・政治活動家・皇国主義者。血液型はA型、身長は163cm。本名は平岡公威(ひらおか きみたけ)。戦後の日本文学界を代表する作家の一人であると同時に、ノーベル文学賞候補になるなど、日本語の枠を超え、海外においても広く認められた作家です。代表作 『仮面の告白』(1949年)『潮騒』(1954年)『近代能楽集』(1956年)『金閣寺』(1956年)『鹿鳴館』(1956年)『鏡子の家』(1959年)『憂国』(1961年)『サド侯爵夫人』(1965年)『豊饒の海』(1965年-1970年)生誕 1925年〈大正14年〉1月14日命日 1970年〈昭和45年〉11月25日彰武...
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力石徹(りきいしとおる)

漫画・アニメ作品「あしたのジョー」の登場人物で、主人公・矢吹丈の最大のライバル。 解説 あしたのジョーの登場人物。 主人公・矢吹丈と少年院で運命的な出会いを果たし、永遠のライバルとなる。生誕 命日 1970年3月24日功徹院清精道観居士<< 戻る
人物

佐藤得二(さとうとくじ)

仏教学者、作家。哲学研究者として朝鮮の水原高等農林学校(現・ソウル大学校農業生命科学大学)、京城帝国大学予科教授、第一高等学校教授を歴任。『仏教の日本的展開』は名著として知られる。その後、文部省督学官、社会教育局長、国際文化会館参与などを務めた。生誕 1899年1月30日命日 1970年2月5日<< 戻る
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冨澤有爲男(とみさわういお)

作家、画家。『地中海』『東洋』『侠骨一代』など多数。生誕 1902年3月29日命日 1970年1月15日<< 戻る
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正力松太郎(しょうりきまつたろう)

内務官僚、警察官、実業家、政治家。 読売新聞社社主、日本テレビ放送網代表取締役社長、読売テレビ会長、日本武道館会長等を歴任。また、読売ジャイアンツ創立者であり初代オーナー。 位階勲等は従二位勲一等。富山県高岡市の名誉市民であり、京成電鉄OBでもある。読売新聞社の経営者として、同新聞の部数拡大に成功し、「読売中興の祖」として大正力(だいしょうりき)と呼ばれる。日本におけるそれぞれの導入を強力に推進したことで、プロ野球の父、テレビ放送の父、原子力の父とも呼ばれる。1885年(明治18年)4月11日、富山県射水郡枇杷首村(後の大門町、射水市)に土建請負業を営む父・正力庄次郎、母・きよの次男として生ま...
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井植歳男(いうえとしお)

実業家。三洋電機株式会社の創業者。松下電気器具製作所(松下電器産業を経て、現・パナソニック)の創業メンバーで、元専務取締役。生誕 1902年12月28日命日 1969年7月16日<< 戻る
人物

植芝盛平(うえしばもりへい)

武道家。合気道の創始者。合気道界では「開祖」と敬称される。生誕 1883年(明治16年)12月14日命日 1969年(昭和44年)4月26日合気院盛武円融大道士<< 戻る
人物

山本周五郎(やまもとしゅうごろう)

小説家。デビュー作『須磨寺附近』(1926年)、代表作は『樅ノ木は残った』(1954-58年)、『赤ひげ診療譚』(1958年)、『青べか物語』(1960年)、『季節のない街』(1962年)、『さぶ』(1963年)、『ながい坂』(1964-66年)など多数。生誕 1903年(明治36年)6月22日命日 1967年(昭和42年)2月14日恵光院周嶽文窓居士<< 戻る