自動化を目指す時代に生きて

中島法雄

AIの普及やインターネットの高速化、様々な場所でのロボティクスの利用など、自動化を支える技術革新は衰えを知らないように思えます。どうやら人間は楽に生きる、楽に稼げる方向に向かいたいようですね。

単純な作業や、置き換えるだけの作業、監視するだけの仕事などを時間制限なく動かせる機械にやってもらえるのであれば、人間は何を仕事にすれば良いでしょうか?

これは機械による自動化の話ですが、既に何億年も自動化を実現しているのは宇宙であり、地球であり、生命です。宇宙はビッグバンが始めだとするとそこから自動的に広がっているし、地球は自動化された宇宙の一部で、姿かたちを変えながら自転し、太陽の周りを自動的に回っています。

生命も宇宙や地球の一部なので、例外なく自動化されています。ただし、機械化ではなく自然と自動化されています。自動化はその仕組みが具わっていれば起こる、ごくありふれた仕組みだと分かると思います。

自然的な自動化を真似ているのが機械的な自動化であると私は仮定してみました。何億年もかけて自動化が行われているトレンドの中で、機械的な自動化は数十年、長く見ても数百年ほどのトレンドです。この視点を抑えておくことは重要です。

仏教の瞑想や坐禅、ルーツを同じくするインドのヨガでは、呼吸を大事にします。息を吸って、吐いて、それに合わせて動作を行う場合もあります。無意識な状況での呼吸は1分間に16~20回行われ、少なくとも1日で2万3千回以上行われていることになります。

無意識な状況で行われている呼吸とは、言い換えれば自動化された呼吸です。食べ物を飲み込むと、自動的に胃に送られ、自動的に消化され、自動的に腸に送られ、必要なものは自動的に吸収され、必要ないものは自動的に排泄物となります。

ここのところを全て例示していくと果てしない時間が必要なのですが、私たちが生きているのは無意識に自動的に働いてくれる身体があるからです。そして、心や考え、判断といった自分と切り離せないような部分も自動化されています。

このような生命内の自動化と機械的な自動化が同じ方向を向いて歩むのならば失敗はないでしょう。同じ方向でない場合というのは、人間の欲から生まれる自動化です。大国だけの利益を自動化したり、自分勝手な判断で自動化してしまうと、生命内の自動化と相いれない状況が生まれてしまうでしょう。

タイトルとURLをコピーしました