今日は私が得度式を受けた日です。1998年のことなので、僧侶になって丸27年間が過ぎたことになります。師匠もお亡くなりになり、寺院から離れ、宗派の所属からも離れ、この心と身体を寺院センターと名付け、師匠から受け継いだ教えを灯にし、縁に随い歩む日々を送っています。

私の生家は浄土宗でした。小学生の時に一緒に暮らしていた祖母を亡くしてから頻繁にお坊さんが来るようになり、身近に僧侶を感じるようになったのはその頃です。そのお坊さんは元々学校の先生をしていたという話を聞いたことから、子ども心ながら将来、仕事を引退したらお坊さんになってみたいと感じたものです。
両親の離婚を経て、母親と暮らしていましたが、母は一時期、保険会社で働いており、そのお客さんの一人が得度をしてくれた師匠になる人でした。母は奉仕を惜しまない人だったので中学2年の私を連れて、秋、そのお寺の裏山から境内になだれ込む落ち葉の片づけや、草抜きに同行していました。

祖母の葬儀や法要を担当してくれたお坊さんは徒歩で家々を回っていて、お布施が仏壇に置いていても、勝手には手も口も出さない方でしたが、この師匠の移動はタクシーで、仏教系の旅行会社の社長や会長を務めただけあって比較的俗っぽさがあり、損得勘定ははっきりしていました。
中学3年のお盆には100軒ほどのお盆のお参りについて回り、数カ寺の組合寺院の法要にも同行するという、お坊さんライフが始まってしまいました。夏休みは部活もあったので、部活かお寺か、という多忙な夏休みであったのを思い出します。

高校は奨学金とアルバイトをして自費で通ったので、この間は、お寺には行かず。後で聞いた話では母には誘いの連絡があったようですが、自分に都合のよい時だけ私を呼び出すような所があり、母の信頼を失っていた時期もこの頃です。
大学進学は目指していたものの、この頃、将来の仕事として自分がどうなりたいかはっきりしていませんでした。漠然と、誰かのためになる仕事。そう考えていました。小学校、中学校、高校でも具体的な将来就きたい職業を発表したことはありません。はっきり書いたり、宣言できない理由は幼稚園にありました。
将来の夢を参観日に発表する場面で「消防士のおじさんになりたいです」と発表して先生には「・・・お兄さん」、保護者からは笑われる、次に発表した友だちは「消防士のお兄さん」とちゃんと言えて比べられるという、とても恥ずかしい体験をしたことを無意識に引きずっていたのだと思います。
とにかく、具体的な目標がない、迷える私は当然の如く大学進学に向けた浪人生活に入ります。その8月に師匠の奥さんがお亡くなりになり、中学生の時にとてもお世話になったので、お寺に駆けつけたのが師匠との再会です。

師匠との年の差は50歳で、お子さんもいなかったこともあり、母と一緒に不定期で微力ながら手伝いと話相手になりに行くようになりました。師匠はお酒も飲む方なので、話が長く、一浪中の身であるので、正直なところ「早く帰りたいな」「勉強をしたいな」とも思いましたが、こういう時はお互いさまです。
私が歴史が好きだということで、大学で仏教を学んでみるのはどうだという話になりました。その時に、世の中には仏教を学べる大学があることを知ったのですが、日本史にも、世界史にも仏教は登場しますし、歴史好きの私にとっては興味深い提案でした。
ただし、高校でさえ奨学金(無利子)とアルバイトでなんとか通っていた私の志望進学先は公立や国立大学。仏教を専門に学べる大学は私立でした。現実的ではない提案だなと思いながら話を合わせていたのですが・・・。

師匠の出身大学を受験するのであれば、交通費と受験費用を払うからみたいな、宗派の手帳を引っ張り出してきて、弟子の教育をしなければいけないと宗憲に書いていると、そんな説得を受けて、ある意味、迷える私を導いてくれたのかなと思います。
それで、大学を目指すのなら、正式に弟子にならないといけないということで、得度式を行いました。その段階になって改めてお寺の入り口を見ると「曹洞宗」と書かれています。師匠を信頼して得度式に臨みましたが、私の場合、たまたまその「宗派」に属することになったということです。

得度式は師匠とその補佐のために40歳離れた兄弟子が来ました。写真撮影のために檀家さん1人もいました。何が何だか分からない、言われるままに進行していきましたが、嫌なこともなく、嬉しいということもない、その段階では儀式的なことでした。写真撮影は宗派に届出を提出しなければならないからだそうです。
得度式では僧侶の名前も正式に付けられます。私の僧名は「法雄」。一般的に言われる戒名、法名、法号に類します。現代は産まれてから死ぬまで同じ名前を名乗ることが普通ですが、この僧名も「こういうものなのだな」と受け入れました。
しかし、誰かが誰かのために背中を押してくれる。導いてくれる。貴重な経験をしたのだなと思います。様々なタイミングが重なって、四半世紀ほど前に得度の日を迎えました。これからも縁に随い歩む日々を送っていきます。
