後になって「こうしておけばよかった」とか「あれが悪かった」とか後悔することが誰にもあると思います。私たちは常に変化している世界に住んでいるので、身の回りの条件も当然ながら変化しています。そんな中で結果を出そうとしているのだと知ることが大事です。
学校でも仕事でもよいですが、テストの結果が悪かったとしましょう。「本当はもっと良いデータを得られたはずなのに」と残念に思っても、それがその時、その条件下で起きたことの最善の結果です。それ以上もそれ以下もない事実がそこにあります。
今起こっている些細なことも全てが、その時々の条件下で経験や記憶から最善のものが自動判断されて出された結果です。自分の意思で判断しているんだと思っていても、結局、自分以外の条件に左右されて結果が出てきます。
「失敗だ」と思っても、それがその時の最善の判断がそのような結果になっただけです。「失敗だ」という思いに引きずられて「こうしておけばよかった」とか「あれが悪かった」とか後悔することで、事実と離れてしまうと、余計な記憶が残り、次の行動で「失敗だ」から自動判断されてしまいます。
この話に共通する日本の言葉があります。「おかげさま」「あり難い」といった感謝の言葉です。これらは元々、仏教で使われている言葉が日常語になったものです。
目の前に起こっている事実に対して、自分だけの力や判断で結果が生まれたのではないという立場です。良い結果、悪い結果に関わらず「おかげさまで無事に仕事を終えることができました」という言葉が出たり、思いもよらぬ助け(自分以外の条件)があり「あり難い」という言葉がでたり、そういったことを日本人は自然に身につけています。