なぜ生きているのか
なぜ考えるのか
なぜ迷うのか
なぜ出会うのか
なぜ別れるのか
なぜ嫉妬するのか
なぜ信じれるのか
なぜ?という問いかけに答えてくれるもの
それは自分自身です
私は多くを問いかけられます。
それに出来るだけ答えます。
勉強中だからという理由で時には曖昧に答えます。
分からない時ははっきりと分からないと答えます。
仏教にはたくさんの経本があり、答えが書いていないか探します。
しかし、いくら探しても具体的な答えは書いていません。
私たちが学ぶ仏の教えは、過去の個人についての問題や答えです。
また、普遍的なものであって、具体的ではないのです。
その問題と答えを学ぶことは出来ますが、現実の問題とはズレが生じます。
前もって答えを準備していれば良さそうですが、必ず当てはまるとは限りません。
お経の言葉のように誰にでも同じことしか答えられないようでは、
何も伝わらないような気がします。
なんてアナログな、時間のかかることなんでしょう。
なぜ?という問いかけに答えてくれるもの、
それは最終的には自分自身です。
みなさんに合う答えを一緒に考えるのが私の役目です。