・遠壽院-伝統と荒行、そして地域とのふれあい 日蓮宗 千葉県市川市中山2-3-2
日蓮聖人に深く帰依して檀越(だんのつ)となった富木(とき)常忍は、文応元年(1260)、館の傍らに一宇を建立して妙連山法華寺と号した。そして、弘安五年(1282)、日蓮聖人の入滅後に出家して日常と名のり、法華寺の法灯を継いだ。当時、同じく有力な檀越であった太田乗明もまたその館を改めて本妙寺と号したが、乗明の遷化に伴い、日常上人が本妙寺に移り、両寺一主の制を定め、寺号を本妙法華経寺として中山門流の中心となった。その後、元徳三年(1331)、三代日祐上人の時に両寺が合併して正中山法華経寺と号した。(リンク先より)
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