宗教家、探検家。浄土真宗本願寺派第22世法主、伯爵、国営競馬馬主。 諱は光瑞。法名は鏡如上人。院号は信英院。 弟に真宗木辺派の本山錦織寺第20代法主となる木辺孝慈、大谷尊由、妹に九条武子がいる。妻は大正天皇の皇后・九条節子の姉・籌子。
1900年12月3日、日本を出発、1902年(明治35年)8月15日ロンドンを出発、教団活動の一環として西域探検のためインドに渡り、仏蹟の発掘調査に当たった。1903年(明治36年)1月14日朝、ビハール州ラージギル郊外で長らく位置が判らなかった霊鷲山を発見している。
同年に父・光尊が死去し、法主を継職するため3月12日帰国したが、探検・調査活動は1904年(明治37年)まで続けられた。これがいわゆる大谷探検隊(第1次)である。法主継職後も探検を続行させ、1914年(大正3年)まで計3回にわたる発掘調査等が実施された。
法主としては教団の近代化に努め、日露戦争には多数の従軍布教使を派遣。海外伝道も積極的に進めた。
生誕 1876年(明治9年)12月27日
命日 1948年(昭和23年)10月5日
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