
06月01日


6月1日ご逝去 中陰からの忌日表
初七日忌 6月7日二七日忌 6月14日三七日忌 6月21日四七日忌 6月28日五七日忌・35日法要 7月5日六七日忌 7月12日七七日忌・満中陰・四十九日法要 7月19日百箇日忌 9月8日初七日からの七日毎の法要日は「命日前日」の曜日、百箇日は「命日翌日」の曜日と同じ曜日になるので、上記の日にちの確認と共に間違いのないよう曜日も確認してください。実際に行う法要は都合の良い曜日に繰り上げる、時間帯を調整することが多いようです。>> 年回忌法要が何年かを確認する<< 戻る

宇田新太郎(うだしんたろう)
工学者。東北大学教授。 専門は電気工学、通信工学で、八木・宇田アンテナの発明者として知られる。(八木秀次)下新川郡舟見町(現入善町)に生まれ、教職にあった両親の転勤で小学校3年の時から魚津に移り住む。魚津尋常高等小学校(現大町小学校)、魚津中学(現魚津高校)、広島高等師範学校(現広島大学教育学部)を経て、中学で教鞭をとりましたが、研究への熱意から大正10年東北帝国大学(現東北大学)工学部電気工学科に入学。卒業後も大学に残って研究生活に入り、昭和2年同大学部助教授、昭和11年に教授となる。その間、昭和6年に光学博士の学位を得、翌年から2年余、欧米に留学。数多くの研究の中で最も有名なものは通称「八...

桂庵玄樹(けいあんげんじゅ)
室町時代後期の臨済宗の僧。薩南学派を形成した。桂菴 玄樹と表記される場合もある。 長門国赤間関出身。9歳のとき出家し、上京して京都南禅寺の惟肖得巌や景徐周麟らに学んだ。その後、豊後国万寿寺に赴いて学問を学び、大内義隆に招かれて郷里長門国永福寺住持となったが、1467年には遣明船の三号船士官となって明に渡海して蘇州などを遊学し朱子学を究める。1473年、日本に帰国したが、応仁の乱による戦禍から逃れるため、石見国に避難した。1478年、島津忠昌に招かれて大隅国正興寺、日向国竜源寺の住持となる。さらに島津忠廉に招かれて、薩摩国の桂樹院で朱子学を講じた。また、伊地知重貞と『大学章句』を刊行(1481年...

楊貴妃(ようきひ)
中国唐代の皇妃。姓は楊、名は玉環。貴妃は皇妃としての順位を表す称号。玄宗皇帝の寵姫。玄宗皇帝が寵愛しすぎたために安史の乱を引き起こしたと伝えられたため、傾国の美女と呼ばれる。世界三大美人の一人で古代中国四大美人の一人とされる。壁画等の類推から、当時の美女の基準からして実際は豊満な女性であった。生誕 719年6月22日(開元7年6月1日)命日 756年7月15日(至徳元載(元年)6月14日)<< 戻る