新義真言宗

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国分寺-静岡県磐田市

・国分寺 新義真言宗 静岡県磐田市見付3047・三河 ⇒ 東海道 遠江 国分寺 ⇒ 駿河聖武天皇の天平13年(741年)の詔によって全国に建立された国分寺の1つである遠江国分寺は、詔からほどなく現在確認されている国分寺史跡地に建立されました。「類聚国史」によれば、弘仁10年(819年)に焼失しました。再建されましたが室町時代以降は次第に衰えました。江戸時代末には、天台宗東叡山寛永寺の末寺となっていましたが、明治時代の廃仏毀釈により無住の廃寺となっていました。村人によりその内の薬師堂のみが守られていましたが、大正12年に内務省告示により史蹟に指定されたことから、参慶山普賢延命院国分寺(本尊・薬師...
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国分寺-和歌山県紀の川市

・国分寺 新義真言宗 和歌山県紀の川市東国分682・長門 ⇒ 南海道 紀伊 国分寺 ⇒ 淡路<< 戻る
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誕生院-佐賀県鹿島市

・誕生院 新義真言宗 佐賀県鹿島市大字納富分2011誕生院は真言宗の中興の祖であり、新義真言宗の開祖である興教大師覚鑁聖人の誕生の地に建てられた寺院です。後亀山天皇の明徳年中足利三代将軍義満公の発願により、後小松天皇の応永十二年沙門定成上人によって創建されたもので、堂塔完備の大伽藍であったことが想像されますが、戦国時代永禄元年兵火に罹って廃滅。(リンク先より)※応永十二年 1405年 << 戻る
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根来寺-和歌山県岩出市

・根来寺 新義真言宗 和歌山県岩出市根来2286根來寺(ねごろじ)を開創された覚鑁(かくばん)上人は肥前国藤津荘(現在の佐賀県鹿島市)で生まれました。13歳で京都・仁和寺の寛助僧正に従い出家得度し、奈良と京都を往復しながら仏教を学び、20歳になると高野山に登り、真言密教の復興に努力しました。 やがて鳥羽上皇の庇護を受け、長承元年(1132)に学問探究の場である「伝法院」、修禅の道場である「密厳院」を高野山上に建立します。同時に根来近郊の岡田・山東・弘田・山崎の荘園と本寺豊福寺(のちに根來寺)を院宣により賜り、覚鑁上人を筆頭とする大伝法院は大いに隆盛しました。(リンク先より)<< 戻る