常に変化していることを無常と言います。全ての物事が常に変化していることを諸行無常と言います。これを聞いて、多くの人は「当たり前だな」と思うわけですが、私たちは同時に大切なもの、大切な人、大切な活動、大好きな場所などは「変わらないでほしい」という気持ちも自然にあります。
無常を前提に、後者を大切にして生きるのか、無常を無視して大切なもの、大切な人、大切な活動、大好きな場所などに永遠を求めるて生きるのかは大きな違いだと思います。失う苦しみも大きいかもしれません。
その他の方法として、どちらも曖昧にしておく、考えないということも出来ます。しかし、「当たり前だな」と分かっていることを隠すことは得策でしょうか?はっきり「全部無常だ」と示したところが仏教の基礎になっていると考えます。
宇宙のはじまり、世界のはじまりは見ることが出来ません。これこそ考える必要のないことかもしれませんし、いつか科学が解明するかもしれません。分からないにしても、いつの頃か、条件がそろってはじまりがあった。そのはじまりのエネルギーから、この世界は自動で常に変化していると言えます。
私の身体も自動で常に変化しています。これはどうしようもないことです。「ああしたい」「こうしたい」と思って私や世界が“自動で変化すること”に逆らうと苦しみやストレスになります。逆に上手くいくときは、“自動で変化すること”に合った働きをしているのかもしれません。
<< 戻る