仏教を本気で学ぶ

仏教用語/人物集 索引

このウェブサイトに出てくる仏教用語/人物を五十音順で探すことが出来ます。
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『阿弥陀経』(あみだきょう)

阿弥陀経は紀元後100年頃にインド文化圏で成立したと考えられている大乗仏教の経典です。もともとは梵語(サンスクリット語)で書かれていたお経で、 सूखावतीव्यूह, Sukhavati-vyuha, スカーヴァティー・ヴィユーハ(極楽の荘厳、幸あるところの美しい風景)というタイトルでした。鳩摩羅什による漢訳によって『阿弥陀経』となりました。同タイトルが付けられている『無量寿経』と区別して『小スカーヴァティー・ヴィユーハ』とも呼ばれます。略称は、『無量寿経』の『大経』に対して、阿弥陀経を『小経』とも呼んでいます。①ルビ(かな読み)②漢訳本文(大太字)③講話人物や単語の解説が必要な場合はその...
人物

アントニオ猪木(アントニオいのき)

プロレスラー、実業家、政治家。神奈川県横浜市鶴見区出身。血液型AB型。新日本プロレス設立後のキャッチフレーズは「燃える闘魂」。日本プロレス所属時代のキャッチフレーズは「若獅子」。愛称は「アントン」。菩提寺は曹洞宗大本山の總持寺。生誕 1943年(昭和18年)2月20日命日 2022年(令和4年)10月1日戒名 闘覚院機魂寛道居士(とうがくいんきこんかんどうこじ)<< 戻る
人物

安倍晋三(あべしんぞう)

日本の政治家。衆議院議員(10期)、内閣総理大臣(第90・96・97・98代)、自由民主党総裁(第21・25代)、自由民主党幹事長(第41代)、内閣官房長官(第72代)、清和政策研究会会長(第10代)、自由民主党幹事長代理、内閣官房副長官等を歴任した。葬儀は妻・昭恵を喪主とし、関係者による通夜が7月11日、告別式は同月12日に東京都港区の増上寺で執り行われ、その後桐ヶ谷斎場で荼毘に付された。没後、安倍晋三元首相には戦後4人目となる「大勲位菊花章頸飾」の授与が決定されている。 生誕 1954年(昭和29年)9月21日命日 2022年(令和4年)7月8日戒名 紫雲院殿政誉清浄晋寿大居士<< 戻る
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安穏であれ

恐怖もなく、危害を加えられることもないということ。・「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。」(スッタニパータ 145偈)<< 戻る
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不休息菩薩(ふきゅうそくぼさつ)

不休息菩薩とは、言葉の通り休む暇なく道を求めるという意味で、 Aniksiptadhura(アニクシプタドゥラ)の音写です。<< 戻る
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阿弥陀堂(あみだどう)

阿弥陀堂とは、阿弥陀如来を本尊とする仏堂のことです。その内部には金色の阿弥陀如来を安置し、壁に極彩色をもって極楽浄土を描いている場合が多くあります。奈良時代には、東大寺南阿弥陀堂(741年)や法華寺阿弥陀浄土院(760年)が建立されました。この頃の伽藍は当麻曼荼羅(たいままんだら)のような浄土変相図の影響を受けたものでした。平安時代中期から後期には、末法思想を背景として浄土信仰が高まり、様々な規模の阿弥陀堂が建立されました。鎌倉時代以降には、浄土宗、浄土真宗・真宗の広がりと共に阿弥陀堂が建立されました。現在の境内の配置を見ると、知恩院では御影堂に向かって左に阿弥陀堂があり、西本願寺は御影堂に向...
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阿吽(あうん)

「阿吽の呼吸」とよく聞きますが、一般的に寺院の山門にいる仁王像は向かって右が口を大きく開けて“ア”と言い、左が“ウン”と言っています。“呼吸がピッタリだ!”、“息が合っている!”ということなんですけど、日本語の“あいうえお……ん”という50音順の並びと関係があり、もっとさかのぼればインドにたどり着きます。ちなみに、東大寺南大門の有名な仁王像の安置方法は先の例とは左右逆になっています。サンスクリット語(梵字)の文字の並びは“ア”から“ウン”となっています。阿“ア”は口を開いて最初に出す音。吽“ウン”は口を閉じて出す最後の音。そこから、それぞれ宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされました。インドから...
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阿修羅(あしゅら、あすら)

阿修羅は、インド神話やバラモン教における神族または魔族として、アスラと呼ばれていたものが仏教に取り入れられて、仏法の守護神となり成立したと考えられています。八部衆(天衆、龍衆、夜叉衆、乾闥婆衆、阿修羅衆、迦楼羅衆、緊那羅衆、摩睺羅伽衆)の一つに数えられています。特徴としては、三つの顔に六つの腕を持つ三面六臂で描かれる姿が多いようです。また、その戦闘的な性格から五趣(地獄・餓鬼・畜生・人間・天上)の畜生と人間の間に追加され、六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道)の一つである修羅道(阿修羅道)の主となり、須弥山の下の海底に住むとされています。奈良県・興福寺の八部衆像・阿修羅像(国宝・...
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上げ法事(あげほうじ)

上げ法事とは、お寺でする年回忌などの法事のことです。法事はご家庭や墓前、セレモニーホールで行うこともあるかもしれませんが、お寺に上がって行う法事のことを「上げ法事」といいます。同じ漢字を使っているからか、50回忌や33回忌に施主やその家の都合でこれ以後、年忌供養を営まないと決める弔い上げ(とむらいあげ)と混同されて使う人もいるようです。ゲームでゴールすると「上がり」と言い、それでおしまいという意味になりますが、この場合は違います。<< 戻る
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阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)

阿弥陀如来、阿弥陀仏について、このページでは主に造像さた仏像としての阿弥陀如来像、阿弥陀仏像、阿弥陀像について書きます。もともとの梵名は「アミターバ」あるいは「アミターユス」 といい、それを音写して「阿弥陀」、漢訳して無量光、無量寿とも呼ばれます。また、略して、弥陀仏とも呼ばれることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。衣服は全身を覆う一枚の衲衣(のうえ)や大衣(だいえ)の布を着て、装飾品は身につけず、持物は何も持っていません。例外もあり、一部には装身具を身につけたものもあります。頭部は螺髪(らほつ)と呼ばれる髪型で、中央部は頂髻相(ちょうけいそう)・肉髻(にっけい)を表していて盛り上が...
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愛語(あいご)

愛語とは、四摂(ししょう)の一つである「あたたかい心のこもった言葉をかけること」で、これによって人々を救いに導く実践行です。そのことは聖徳太子によって著されたとされる『法華義疏』(ほっけぎしょ)に出てきます。また、鎌倉時代の道元が著わした『正法眼蔵』にも「愛語」の言葉は何度も使われていて「愛語といふは、衆生をみるにまづ慈愛の心をおこし、顧愛の言語をほどこすなり。」と説明されています。四字熟語にもなっている「和顔愛語」(わげんあいご/我がんあいご)はより分かりやすい言葉になっていますが、和やかな笑顔と思いやりのある話し方で人に接することを指す言葉です。・「自分を苦しめず、また他人を害しない言葉の...
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愛敬相(あいぎょうそう)- 愛想、愛嬌

愛敬相とは、仏・菩薩の姿は温和で慈悲深く、拝む人たちがその姿に愛(いつく)しみ、敬(うやま)わらずにはおられない相(そう)だということを表しています。「愛想を尽かす」と使われる愛想の語源は愛敬相で、略したものです。また、「愛嬌がある」と使われる愛嬌の語源も愛敬相で、「愛敬」を略したものですが、主体が変わり「愛嬌」の字があてられて使われています。<< 戻る
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愛(あい)

愛とは、慈しむ心や慈しんで行うことです。愛想、愛嬌、愛語、愛着(愛著)など、愛が付く仏教語は多くあります。そこから「愛」が仏教の中でどのように使われているのかを確認したいと思います。「愛想」、「愛嬌」というのは実は同じ仏教語「愛敬相」(あいぎょうそう)が語源で、仏・菩薩の姿は温和で慈悲深く、拝む人たちがその姿に愛(いつく)しみ、敬(うやま)わらずにはおられない相(そう)だということを表しています。「愛語」というのは四摂(ししょう)の一つである「あたたかい心のこもった言葉をかけること」で、これによって人々を救いに導く実践行です。そのことは聖徳太子によって著されたとされる『法華義疏』(ほっけぎしょ...
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アルカイックスマイル

アルカイックスマイルとは、紀元前5世紀頃に作製された古代ギリシアのアルカイク彫刻の中に見られ、無表情の中でも口角を上げ微笑に似た表情のことをいいます。日本では飛鳥時代の仏像彫刻の顔に同じような微笑が見られます。広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)、中宮寺の菩薩半跏像などもアルカイックスマイルと呼ばれ、ギリシアの特徴とよく似ていますが、両者の間に直接の関係はないと考えられています。(広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像)<< 戻る
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阿弥陀三尊(あみださんぞん)

阿弥陀如来(仏)を中心に、左右の随身・両脇侍として菩薩を配した形式を阿弥陀三尊または弥陀三尊と呼びます。両脇侍には、向って左に阿弥陀如来の知恵の徳を表す勢至菩薩、向って右に阿弥陀如来の慈悲の徳を表す観音菩薩を配する例が多いようですが、随身・両脇侍の左右が逆という作例もあります。如来とは悟りを開いた仏の姿で、菩薩とは仏になるために修行する人のことを言いますが、観音菩薩や勢至菩薩の場合は阿弥陀如来の分身として、その働きを助ける者という考えです。慈悲として働かれる時には観音菩薩をつかわし、智慧として働かれる時は勢至菩薩をつかわされます。見分けがつかない場合は、頭上の髻の正面を見て、阿弥陀如来の化仏(...
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九つの孔

九つの孔(あな)とは、両目の孔、両耳の孔、鼻の二つの孔、口、排泄の道、生殖の道のこと。・「またその九つの孔からは、常に不浄物が流れ出る。眼からは目やに、耳からは耳垢、」(スッタニパータ 197偈)<< 戻る
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悪魔パーピマン

・悪魔パーピマンが言った、「子のある者は子について喜び、また牛ある者は牛について喜ぶ。人間の執著する元のものは喜びである。執著する元のない人は、実に喜ぶことがない。」(スッタニパータ 33偈)・師は答えた、子のある者は子について憂い、また牛ある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執著する元のものがない人は、憂うることがない。」(スッタニパータ 34偈)<< 戻る
人物

アジタ・ケーサカンバリ(阿耆多翅舎欽婆羅)

アジタ・ケーサカンバリは『スッタニパータ【第3 大いなる章】6、サビヤ』に登場する仏教の側から見て異端だと見なされた六師外道の1人です。アジタ・ケーサカンバリは、唯物論、感覚論、快楽主義者で、人は四大からなり、死ぬと散り何も残らない。善悪いずれの行いの報いもないとし、現世の快楽・享楽のみを主張していました。<< 戻る
人物

学生アジタ

学生アジタは『スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】1、序』および『2、学生アジタの質問』内に登場するバーヴァリ・バラモンの弟子で、お釈迦様に質問します。<< 戻る
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阿閦鞞仏(あしゅくびぶつ)

阿閦鞞仏とは、阿閦鞞如来、阿閦仏、阿閦如来という記述でも同様に、梵語で Akṣobhya(アクショービヤ)といい、不動なる者という意味の東方の現在仏です。阿閦婆などとも音写し、他にも無動(無動如来)、無瞋恚、無怒、不動などと意訳されている場合もあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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無量精進仏(しゅみとうぶつ)

無量精進仏とは、限りなき精進を為す者という意味の南方の現在仏です。梵語では anantavirya(アナンタ・ヴィーリヤ)といいます。また、無量精進如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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無量相仏(むりょうそうぶつ)

無量相仏とは、無量のかたまりを持つ者という意味の西方の現在仏です。梵語では amitaskandha(アミタ・スカンダ)といいます。また、無量相如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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阿弥陀仏(あみだぶつ)

西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)の中心にいる仏です。もともとの梵名は「アミターバ」あるいは「アミターユス」 といい、それを音写して「阿弥陀」、漢訳して無量光、無量寿とも呼ばれます。阿弥陀如来と呼ぶ場合もあり、如来とは悟りを開いた仏の姿です。また、略して、弥陀仏とも呼ばれることもあります。無量光仏、無量寿仏。浄土教の本尊で、現在も説法し、衆生(人間をふくむ全ての生き物)を救う活動を続けています。日本では、浄土信仰の勢いが盛んになるにともない、彫刻・図像の制作が行われ、平安時代中期以後、浄土美術の中心となりました。(→ 阿弥陀如来像)10円玉のデザインに採用されている平等院鳳凰堂(びょうど...
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無量幢仏(むりょうどうぶつ)

無量幢仏とは、無量なる幢幡<はたぼこ>を持つ者という意味の西方の現在仏です。梵語では amitadhvaja(アミタ・ドバージャ)といいます。また、無量幢如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
人物

アンバパーリー

アンバパーリーは『ブッダ最後の旅【 第2章 】8、遊女アンバパーリー』内に登場し、ヴァイシャリに住むお釈迦様の女性の弟子(比丘尼)です。漢訳仏典には、菴摩羅、菴没羅などの音訳があり、㮈女、柰女、非浄護などの意訳も見られます。マンゴー林に捨てられた子であり、その番人に育てられたことから、「アンバパーリー」すなわち「マンゴー林の番人の子」と言われるようになりました。アンバパーリーは、遠くの町にまで名声が伝わるような遊女で、美貌と容姿、魅力に恵まれ、他にも踊りや歌、音楽も巧み、当然言い寄る客が引けを取らずとなって舞台等で莫大な稼ぎを得ていたそうです。お釈迦様に帰依し、みずからも出家し比丘尼となり、阿...
人物

アーラーラ・カーラーマ(阿羅邏迦蘭)

アーラーラ・カーラーマは、古代インドの思想家で、お釈迦様が出家直後、悟りを得る前に師事した人物の1人です。アーラーラ・カーラーマのもとを訪れ「無所有処(ākiñcaññāyatanaṃ)」(空無辺処)の教えを聞くと、間もなくその境地を証得したので、アーラーラ・カーラーマはお釈迦様が自分と同じ境地を得たことを知ると、自分の弟子300人を共に率いていくことを要請しました。しかしお釈迦様はその境地は真の悟りを得る道ではないと覚り、アーラーラ・カーラーマのもとを去り、次にウッダカ・ラーマプッタのもとへ行きました。『ブッダ最後の旅【 第4章 】17、臨終の地を目指して - プックサとの邂逅』にはアーラー...
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甘茶(あまちゃ)

花祭りなどで飲まれる甘茶はヤマアジサイの一種から作られます。8月の中旬にその葉を摘んで発酵させ、手でもんで、天日で乾燥させて甘茶の茶葉が出来上がります。生の甘茶の葉は噛むと苦いですが、発酵させて初めて甘みが出ます。(ヤマアジサイ:ユキノシタ科アジサイ属もしくはアジサイ科の植物)花祭りではお釈迦様の誕生仏にひしゃくを使って甘茶をそそぐのですが、それは、お釈迦様の誕生時に天から九頭の龍が甘露をそそいで産湯を満たしたという伝承があるためです。江戸時代までは、甘茶ではなく五色の水と呼ばれる香水が使われていた寺院もあるようですが、次第に甘茶を甘露に見立てて全国的に用いるようになりました。なお、この甘茶は...
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あらゆる場合に

以下の偈において「あらゆる場合に」とは、与える前、与えつつあるとき、与え終わった後、その3つの時期をいいます。与える前には心楽しく、与えつつある時には心を清浄ならしめ、与え終わっては心喜ばしめると解釈されています。・「マーガ青年がさらに続けて言った、「この世で施しの求めに応ずる在家の施主、福徳を求め福徳を目指して供物をささげる人が、他人に飲食を与えるに当って、どうしたならば祀りが成功成就するかということをわたくしに説いてください。先生!」尊き師(ブッダ)は答えた、「マーガよ。祀りを行え。祀り実行者はあらゆる場合に心を清からしめよ。祀り実行者の専心することは祀りである。彼はここに安立して邪悪を捨...
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アンドロイド観音について

アンドロイド観音とは、仏教になじみのない人にも触れてもらおうと、1年半をかけて高台寺と大阪大学大学院基礎工学研究科の小川浩平研究チームが総事業費1億円をかけて開発しました。2019年2月23日アンドロイド観音マインダーの開眼法要が京都市東山区の高台寺で行われました。マインダーは主にアルミから作られており、身長は195㎝、体重は60Kgで頭や胴体など金属の部品がむき出し、手と顔、肩はシリコン製です。法話は、プロジェクションマッピングと連動し、なめらかな動きは空気圧駆動によるもので、胴体や腕、頭を動かしながら『般若心経』の教えをわかりやすい言葉で伝えていきます。アンドロイド観音「この無機質な私との...
人物

赤木春恵(あかぎはるえ)

女優。身長152cm、血液型はB型。オフィスのいり所属。日本喜劇人協会相談役。主な出演テレビドラマ『ああ家族』『ああ結婚』『ああ相続』『ああ母さん』、その他、出演多数。生誕 1924年3月14日命日 2018年11月29日圓優院釋尼春慧<< 戻る
人物

麻生美代子(あそうみよこ)

声優、女優。東京俳優生活協同組合に所属していた。デビュー作は『魔法使いサリー』ウルトラ婆さん。『サザエさん』のフネ役を長年務めた。生誕 1926年4月7日命日 2018年8月25日<< 戻る