「 い 」 一覧
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井原西鶴(いはらさいかく)
1693/08/10 -人物
08月10日, 1693年, い, 井原西鶴, 誓願寺-大阪府大阪市中央区, (命日)08月10日江戸時代の大坂の浮世草子・人形浄瑠璃作者、俳諧師。別号は鶴永、二万翁、西鵬。 『好色一代男』をはじめとする浮世草子の作者として知られる。談林派を代表する俳諧師でもあった。 代表作 『好色 ...
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石川丈山(いしかわじょうざん)
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、文人。もとは武士で大坂の陣後、牢人。一時、浅野家に仕官するが致仕して京都郊外に隠棲して丈山と号した。江戸初期における漢詩の代表的人物で、儒学・ ...
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隠元隆琦禅師(いんげんりゅうきぜんじ)
1654/01/01 -人物, 仏教を本気で学ぶ, 年表
04月03日, 11月04日, 1654年, い, 萬福寺-京都府宇治市, 黄檗宗の出来事, (命日)04月03日, (生誕)11月04日中国僧・隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師は、明代末期の臨済宗を代表する費隠通容(ひいんつうよう)禅師の法を受け継ぎ、臨済正伝32世となり、中国福建省福州府福清県の黄檗山萬福寺(古黄檗)の ...
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今井宗薫(いまいそうくん)
1627/04/11 -人物
04月11日, 1627年, い, (命日)04月11日安土桃山時代・江戸時代の人物。茶人今井宗久の子。本名は兼久。官名を帯刀左衛門、号は別に単丁斎とした。父・宗久に茶湯を学び豊臣秀吉の茶頭・お伽衆となる。のちに徳川家康・秀忠・家光と三代の将 ...
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井伊直政(いいなおまさ)
1602/02/01 -人物
02月01日, 02月19日, 1602年, い, 戒名, (命日)02月01日, (生誕)02月19日戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。井伊氏第17代または24代当主。 上野国高崎藩の初代藩主。後に近江国佐和山藩(彦根藩)の初代藩主。徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えら ...
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石田三成(いしだみつなり)
安土桃山時代の武将・大名。豊臣家家臣。佐和山城主。 豊臣政権の奉行として活動し、五奉行の内の一人となる。豊臣秀吉の死後、徳川家康打倒のために決起して、毛利輝元ら諸大名と共に西軍を組織した ...
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石川五右衛門(いしかわごえもん)
安土桃山時代の盗賊の首長。文禄3年に捕えられ、京都三条河原で煎り殺された。見せしめとして、彼の親族も大人から生後間もない幼児に至るまで全員が極刑に処されている。釜風呂で有名な五右衛門風呂 ...
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今井宗久(いまいそうきゅう)
戦国時代から安土桃山時代にかけての堺の商人、茶人。今井出羽守宗慶の三男の氏高の子。今井宗薫の父。名は兼員、初名を久秀、通称を彦八郎のち彦右衛門。号は昨夢庵寿林。屋号は納屋。薙髪の後に宗久 ...
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池田恒興(いけだつねおき)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。清洲会議に出席した4人の織田家重臣の一人。池田恒利の子。子に元助、輝政など。 尾張犬山城主、摂津兵庫城主、美濃大垣城主。通称は勝三郎。紀伊守 ...
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石山合戦終わる
1580(天正八)年3月、本願寺、織田信長と和睦(石山合戦終わる)。 8月、教如、本願寺を退く。大坂本願寺焼ける。 << 戻る
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今川義元(いまがわよしもと)
戦国時代の駿河国及び遠江国の守護大名・戦国大名。今川氏第11代当主。姉妹との婚姻関係により、武田信玄や北条氏康とは義理の兄弟にあたる。「海道一の弓取り」の異名を持つ東海道の広大な地域の支 ...
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加賀の一向一揆
1488年、加賀の一向一揆が起こる。加賀国(石川県)で一向宗門徒が、守護の富樫氏を追い出し、約100年間にわたって自治を行った。 << 戻る
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山城の国一揆
1485年、山城の国一揆が起こる。山城国(京都府)で土着の武士と農民が、国内で争っていた守護大名を追い出し、8年間自治を行った。 << 戻る
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一休宗純(いっきゅうそうじゅん)
1481/11/21 -人物, 仏教を本気で学ぶ, 年表
01月01日, 11月21日, 1481年, い, そ, 室町時代, 臨済宗の出来事, 臨済宗大徳寺派, (命日)11月21日, (生誕)01月01日室町時代の臨済宗大徳寺派の僧侶で詩人。説話「一休さん」のモデルとしても知られます。号に狂雲子(きょううんし)、瞎驢(かつろ)、夢閨(むけい)、国景(こっけい)があり、諱を宗純(宗順)とい ...
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一遍(いっぺん)
1289/08/23 -人物, 仏教を本気で学ぶ, 年表
02月15日, 08月23日, 1289年, い, 時宗, 真光寺-兵庫県神戸市兵庫区, 鎌倉時代, (命日)08月23日, (生誕)02月15日一遍とは、鎌倉時代中期の僧侶。時宗の開祖。「一遍」は房号であり、法諱は「智真」。一遍上人、遊行上人(ゆぎょうしょうにん)、捨聖(すてひじり)と尊称されます。著作に『一遍上人語録』がありま ...
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一遍上人、熊野での成道(時宗の開宗)
文永11年(1274)、遊行・賦算をしながら、熊野へ向かっていた道中、ある出来事が一遍上人を思い悩ませます。熊野山中で出会った一人の僧に念仏札を受けるように勧めた時に、信心が起こらないので受け取れない ...
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伊豆法難
弘長元(1261)年5月12日、反感を持つ者の讒言(ざんげん)により日蓮聖人は捕らえられ、伊豆へ流罪になりました。弘長3(1263)年2月22日、伊豆流罪赦免されます。 << 戻る
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「正法眼蔵」恁麼(いんも)
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「正法眼蔵」一顆明珠(いっかみょうじゅ)
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『正法眼蔵随聞記』34、今の世、出世間の人
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月09日, い, その時その時を大事にする, 他人の評価を気にするのはやめよう, 心を整えるのは難しいこと, 正法眼蔵随聞記, 生あるものに利益を与えることを行う, 自分のことばかり考えずに名誉心をも捨てるこの投稿はパスワードで保護されているため抜粋文はありません。
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『正法眼蔵随聞記』105、衣食の事兼ねてより思いあてがふ事なかれ
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
07月18日, い, 世間の物差しで考えない, 余計なものを貯えずに生きる, 正法眼蔵随聞記, 自分のことばかり考えずに名誉心をも捨てるこの投稿はパスワードで保護されているため抜粋文はありません。
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『正法眼蔵随聞記』45、今この国の人は
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
05月20日, い, 世間の物差しで考えない, 他人の評価を気にするのはやめよう, 何を基準に物事を見ているか, 分け隔てする心を改める, 正法眼蔵随聞記, 自分の考えを改めるべき場面この投稿はパスワードで保護されているため抜粋文はありません。
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『正法眼蔵随聞記』95、泉大道の云く
1235/06/11 -仏教を本気で学ぶ
07月08日, い, 世間の物差しで考えない, 仏祖になった人の生き方, 何を基準に物事を見ているか, 正法眼蔵随聞記, 自分の考えを改めるべき場面この投稿はパスワードで保護されているため抜粋文はありません。
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『正法眼蔵随聞記』19、如何なるか是れ不昧因果底の道理
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一枚起請文
『一枚起請文』は、建暦二年(1212)法然上人が、お亡くなりになる直前に、その弟子の一人である常随給仕首尾18年の門弟源智上人の念仏の肝要について「一筆書きとどめて頂きたい」という要請により書かれたも ...
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潙山霊祐(いさんれいゆう)
中国唐代の禅僧。諡は大圓禅師。俗姓は趙。福州長渓県(福建省寧徳市霞浦県)の出身。法語として『潙山警策』がある。百丈懐海に就いて嗣法。弟子には仰山慧寂、香厳智閑など多数。大円禅師。大潙大円 ...
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薬山惟儼(やくさんいげん)
中国唐の時代の禅僧。絳州新絳県の出身。石頭希遷無際大師に就いて嗣法。弟子には雲巌曇晟がいる。諡は弘道大師。 17歳で潮陽西山の慧照禅師によって出家し、29歳で衡岳寺の希操律師から具足戒を ...
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興善惟寛(こうぜんいかん)
中国唐の時代の禅僧。衢州信安県の出身。馬祖道一に就いて嗣法。弟子には義崇、円鏡がいる。諡号は大徹禅師。西安大興禅寺。 生誕 天宝14載(755年) 命日 元和12年2月30日(817年3 ...
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一行(いちぎょう、いっこう)
中国唐の時代。邢州鉅鹿県出身。中国の僧であり、天文学者でもある。俗名は張遂で、大衍暦を編纂した。真言八祖(伝持の八祖)の一人であり伝持六祖。師は普寂、恵真、善無畏、金剛智。諡は大慧禅師。 ...
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『法句経』ダンマパダ【 第17章 怒り 】
0202/05/30 -仏教を本気で学ぶ
03月29日, い, どんな言葉で話せばいいか, アトゥラ, ダンマパダ, 自分の考えを改めるべき場面この投稿はパスワードで保護されているため抜粋文はありません。
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スッタニパータ【第1 蛇の章】7、賤しい人
0202/05/28 -仏教を本気で学ぶ
01月07日, い, コーサラ国, スッタニパータ, 火に事えるバラモン・バーラドヴァージャ, 祇園精舎, 自分の考えを改めるべき場面この投稿はパスワードで保護されているため抜粋文はありません。
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スッタニパータ【第1 蛇の章】8、慈しみ
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