buddhism

仏教を本気で学ぶ

須弥山(しゅみせん)

須弥山とは、仏教やヒンドゥーの世界観において、中心にあると考えられる想像上の山です。山頂は神々の世界に達し、周囲は幾重もの山岳や海に囲まれているといわれます。梵語でスメールといい、音訳して須弥山、玄奘三蔵は妙高山と意訳しました。須弥山の高さは8万由旬(1由旬は約7~8km:『倶舎論』の解釈)といわれ、中腹に四天王がおり四方を守ります。さらにその上の山頂の忉利天(とうりてん)には善見城があり、帝釈天が住んでいます。須弥山には甘露(かんろ)の雨が降っており、それによって須弥山に住む天たちは空腹を免れるといわれています。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

東司(とうす)

仏教寺院においてトイレ・便所のことを東司と呼ばれることが多くあります。特に、禅宗寺院では七堂伽藍のひとつに数えられています。禅宗寺院や密教寺院では古くから東司の守護神として、「トイレの神様」で再注目された烏芻沙摩明王が祀られています。また、三黙道場のひとつにも数えられています。修行寺院では多くの僧侶が使用し、参拝客が多い寺院でも使用者が多いため、脚下照顧(きゃっかしょうこ)等の貼り紙でマナー向上を訴えていることが現在では多く見られます。画像は東福寺の東司で、桁行7間、梁間4間、一重、切妻造本瓦葺で、現存、国内最古最大のものです。(東司 東福寺)<< 戻る
便り

本要寺の鬼瓦

鬼瓦(おにがわら)とは、寺院の諸堂や山門などの瓦葺き建造物の屋根の端などに設置され飾られる瓦を総称してそう呼んでいます。<< 戻る
便り

永泉寺の門前掲示板より

前に戻る ⇐ 門前掲示板ネット巡礼 ⇒ 次に進む 門前掲示板(もんぜんけいじばん)とは、お寺の入り口に掲げられ、誰もが見ることが出来る掲示物です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

阿吽(あうん)

「阿吽の呼吸」とよく聞きますが、一般的に寺院の山門にいる仁王像は向かって右が口を大きく開けて“ア”と言い、左が“ウン”と言っています。“呼吸がピッタリだ!”、“息が合っている!”ということなんですけど、日本語の“あいうえお……ん”という50音順の並びと関係があり、もっとさかのぼればインドにたどり着きます。ちなみに、東大寺南大門の有名な仁王像の安置方法は先の例とは左右逆になっています。サンスクリット語(梵字)の文字の並びは“ア”から“ウン”となっています。阿“ア”は口を開いて最初に出す音。吽“ウン”は口を閉じて出す最後の音。そこから、それぞれ宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされました。インドから...
便り

真光寺の鬼瓦

鬼瓦(おにがわら)とは、寺院の諸堂や山門などの瓦葺き建造物の屋根の端などに設置され飾られる瓦を総称してそう呼んでいます。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

縁起(えんぎ)

原因とその時の条件(縁)から結果が起こっているという関係を縁起と言います。因縁生起(いんねんしょうき)の略です。原因とは自分が何かを行ったことや自分以外の物事が動く起点のことです。条件とは常に変化している世界において、物事の起点にどのような関係性がそろっているかです。そこから生まれたものが結果です。何か自分にとって良くないことが起こったとします。「どうしてこんなことに!?」と思うかもしれませんが、その結果になったのは、様々な条件が重なり原因があってのことだと縁起で説明します。突然、理由もなく起こることはないということです。また、条件がそろったところで、良い原因を自分がつくれば、良い結果が得られ...
便り

秀林寺の門前掲示板より

前に戻る ⇐ 門前掲示板ネット巡礼 ⇒ 次に進む 門前掲示板(もんぜんけいじばん)とは、お寺の入り口に掲げられ、誰もが見ることが出来る掲示物です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

拝観(はいかん)- 寺院へのお参りについて

拝観とは、敬意を表してうやうやしく寺院などの建築物や境内、収蔵品を見て楽しむことです。どのような施設でも、拝観できる区域や時間が決まっています。有料でも、無料でも拝観といいます。参拝 > 拝観 > 見学(例)「拝観する」「拝観コース」「拝観案内」「拝観料」「拝観場所」「拝観受付」「夜間拝観」「特別拝観」「拝観期間」「拝観時間」「予約拝観」「拝観施設」「自由拝観」「拝観券」「拝観業務」「拝観情報」「団体拝観」「庭園拝観」<< 戻る
便り

徳本寺の門前掲示板より

前に戻る ⇐ 門前掲示板ネット巡礼 ⇒ 次に進む 門前掲示板(もんぜんけいじばん)とは、お寺の入り口に掲げられ、誰もが見ることが出来る掲示物です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

十一面観音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)

十一面観音菩薩は、十一面観音、十一面観世音などとも呼ばれます。サンスクリット(梵語)では、エーカダシャ・ムカ・アヴァローキテーシュヴァラ・ボーディサットヴァといい、本体の顔以外に10または11の顔を持つ菩薩です。人々の苦悩に応じて大慈悲を行ずるところから千変万化の相となる観世音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、その他、姿の特徴としては、頭部正面・宝冠の前面に阿弥陀如来の化仏(けぶつ)を表します。右手は垂下し、左手は蓮華を生けた花瓶を持っている姿が多いようです。六観音の1つでも表されています。多くの顔をもつ多面の十一面観音菩薩は、頭上の11面のうち、最上部の仏面は仏果を表し、衆生の無明煩悩...
便り

洞林寺の門前掲示板より

前に戻る ⇐ 門前掲示板ネット巡礼 ⇒ 次に進む 門前掲示板(もんぜんけいじばん)とは、お寺の入り口に掲げられ、誰もが見ることが出来る掲示物です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

鬼子母神(きしぼじん/きしもじん)

鬼子母神とは、毘沙門天の部下の八大夜叉大将もしくは二十八部衆の一つ、散支大将(さんしたいしょう/パーンチカ)の妻で、たくさんいる子どもたちを育てるための栄養をつけるため、人間の子を捕えて食べる荒々しい人食い女夜叉で、多くの人間から恐れられていました。それを見かねたブッダは、彼女が最も愛していた末子のピンガラ(嬪伽羅、氷迦羅、畢哩孕迦)を乞食(こつじき)に用いる鉢に隠しました。彼女は半狂乱となって世界中を7日間駆け抜け探し回りましたが見つからず、ブッダに助けを求めます。ブッダは、「多くの子を持ちながら一人を失っただけでお前はそれだけ嘆き悲しんでいる。それなら、ただ一人の子を失う親の苦しみはいかほ...
便り

勝念寺の鬼瓦

鬼瓦(おにがわら)とは、寺院の諸堂や山門などの瓦葺き建造物の屋根の端などに設置され飾られる瓦を総称してそう呼んでいます。<< 戻る
便り

本光寺の門前掲示板より

門前掲示板(もんぜんけいじばん)とは、お寺の入り口に掲げられ、誰もが見ることが出来る掲示物です。<< 戻る
便り

盛岩寺の鬼瓦

鬼瓦(おにがわら)とは、寺院の諸堂や山門などの瓦葺き建造物の屋根の端などに設置され飾られる瓦を総称してそう呼んでいます。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

お賽銭(おさいせん)

お賽銭とは、お寺や神社にお参りに行った時に、賽銭箱などへお金を入れることです。ただし、2つの意味があります。一般参拝客にとっては、自分のお願いを聴いてもらおうという意味でお賽銭をしていることが多くあります。それに対して、お寺や神社側にとっては、日頃の感謝の気持ちを仏様や神様にお伝えするという意味でお賽銭をすると説明します。「賽」という字には「仏神から福を受けたのに感謝し、飲食物などを供え、儀式を行い、仏神を招き、慰めたり祈願したりする」の意味があります。もともとはお金ではなく、お米などをお供えしたそうなので「お賽」だったのでしょう。それがお金で代用されるようになり「お賽銭」になった時にも、現代...
便り

威徳寺の門前掲示板より

前に戻る ⇐ 門前掲示板ネット巡礼 ⇒ 次に進む 門前掲示板(もんぜんけいじばん)とは、お寺の入り口に掲げられ、誰もが見ることが出来る掲示物です。<< 戻る
便り

宗現寺の門前掲示板より

前に戻る ⇐ 門前掲示板ネット巡礼 ⇒ 次に進む 門前掲示板(もんぜんけいじばん)とは、お寺の入り口に掲げられ、誰もが見ることが出来る掲示物です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

退屈(たいくつ)

退屈という言葉は日常で使われますが、もとは仏教に関係する言葉でした。「仏道修行の厳しさに屈し、退いてしまうこと」からできた言葉です。現代、退屈の意味はどうでしょうか?「やることがなくて暇なこと」といった意味で使われているのではないでしょうか。その他にも、「難しい話が続いて頭に入らないとき」にも退屈は使われます。どちらかというと、後者の方がもともとの「仏道修行の厳しさに屈し、退いてしまうこと」に近いようです。<< 戻る
便り

鑁阿寺の鬼瓦

鬼瓦(おにがわら)とは、寺院の諸堂や山門などの瓦葺き建造物の屋根の端などに設置され飾られる瓦を総称してそう呼んでいます。<< 戻る
便り

金宝寺の門前掲示板より

前に戻る ⇐ 門前掲示板ネット巡礼 ⇒ 次に進む 門前掲示板(もんぜんけいじばん)とは、お寺の入り口に掲げられ、誰もが見ることが出来る掲示物です。<< 戻る
便り

龍泉寺の鬼瓦

鬼瓦(おにがわら)とは、寺院の諸堂や山門などの瓦葺き建造物の屋根の端などに設置され飾られる瓦を総称してそう呼んでいます。<< 戻る
便り

広厳寺の門前掲示板より

前に戻る ⇐ 門前掲示板ネット巡礼 ⇒ 次に進む 門前掲示板(もんぜんけいじばん)とは、お寺の入り口に掲げられ、誰もが見ることが出来る掲示物です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

四天王(してんのう)

四天王とは、須弥山頂上の忉利天(とうりてん)に住む帝釈天の配下で、八部鬼衆を所属支配し、その中腹で仏教世界を護る四神です。東方を護る持国天(じこくてん)、南方を護る増長天(ぞうちょうてん)、西方を護る広目天(こうもくてん)、北方を護る多聞天(たもんてん)からなります。また、四大王(しだいおう)ともいいます。甲冑(かっちゅう)を着た武将姿で、岩や邪鬼の上に立っている像が多いようです。それぞれ武器を持っていますが、広目天は筆と巻物を持っている作例もあります。像は須弥壇の四隅にそれぞれ配置されるか、向かって左から広目天、増長天、持国天、多聞天の順に置かれるのが通例です。『日本書紀』によれば、仏教をめ...
仏教を本気で学ぶ

須弥壇(しゅみだん)

須弥壇とは、お寺の堂内に仏像を安置するため、床面より高く設けられた壇で、仏教やヒンドゥーの世界観において、中心にあると考えられる須弥山を模した部分があります。ご家庭の仏壇の内部にも、本尊である釈迦如来や阿弥陀如来をおまつりする場所、仏壇のほぼ中央部に須弥壇があります。この仏壇の画像で言えば、手前にロウソク台や香炉を置く机があり、その奥に須弥壇が見えます。須弥壇より上部に本尊や宗派の祖師をおまつりします。<< 戻る
便り

改観寺の門前掲示板より

前に戻る ⇐ 門前掲示板ネット巡礼 ⇒ 次に進む 門前掲示板(もんぜんけいじばん)とは、お寺の入り口に掲げられ、誰もが見ることが出来る掲示物です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

釈迦三尊(しゃかさんぞん)

釈迦像を中心に、左右の脇侍(きようじ)として菩薩、天、もしくは羅漢を配した形式を釈迦三尊と呼びます。両脇侍には、向かって右に騎獅の文殊菩薩・向かって左に乗象の普賢菩薩の二菩薩を配する例が多いようですが、薬王菩薩・薬上菩薩の二菩薩、梵天・帝釈天の二天部、迦葉尊者(かしよう)・阿難尊者(あなん)の二尊者を置くこともあります。ちなみに、例にあげた画像の釈迦三尊像の脇侍は向かって右に薬王菩薩・向かって左に薬上菩薩と寺に伝えられているとのことです。(釈迦三尊像 法隆寺金堂)<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)

二十八部衆とは、千手観音菩薩の眷属のことで、東西南北と上下に各四部、北東・東南・北西・西南に各一部ずつが配され、合計で二十八部衆となります。那羅延堅固(ならえんけんご)難陀龍王(なんだりゅうおう)摩睺羅(まごら)緊那羅(きんなら)迦楼羅(かるら)乾闥婆(けんだつば)毘舎闍(びしゃじゃ)散支大将(さんしたいしょう)満善車鉢(まんぜんしゃはつ)摩尼跋陀羅(まにばだら)毘沙門天(びしゃもんてん)提頭頼吒王(だいずらたおう)婆藪仙(ばすせん)大弁功徳天(だいべんくどくてん)帝釈天王(たいしゃくてんおう)大梵天王(だいぼんてんおう)毘楼勒叉(びるろくしゃ)毘楼博叉(びるばくしゃ)薩遮摩和羅(さしゃまわら...
便り

圓福寺の門前掲示板より

前に戻る ⇐ 門前掲示板ネット巡礼 ⇒ 次に進む 門前掲示板(もんぜんけいじばん)とは、お寺の入り口に掲げられ、誰もが見ることが出来る掲示物です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

曼陀羅華(まんだらけ/まんだらげ)

曼陀羅華とは、梵語でいう「マンダーラバ/マンダーラヴァ」の音写で、天界に咲く花として「法華経」などの仏典に出てくる花です。ブッダを礼賛して降り注いだ花とされています。色が美しく芳香を放ち、見る者の心を喜ばせることから悦意華(えついか)とも呼ばれます。<< 戻る
便り

浄敬寺の門前掲示板より

前に戻る ⇐ 門前掲示板ネット巡礼 ⇒ 次に進む 門前掲示板(もんぜんけいじばん)とは、お寺の入り口に掲げられ、誰もが見ることが出来る掲示物です。<< 戻る