【仏教用語/人物集 索引】

安田善次郎(やすだぜんじろう)

投稿日:1921年9月28日 更新日:

 
富山県富山市出身の実業家。茶人。幼名は岩次郎。号は松翁。安田財閥の祖。東京大学の安田講堂や、日比谷公会堂、千代田区立麹町中学校校地は安田善次郎の寄贈によるものであるが、「名声を得るために寄付をするのではなく、陰徳でなくてはならない」として匿名で寄付を行っていたため、生前はこれらの寄付が行われたことは世間に知られてはいなかった。東京大学の講堂は死後に安田善次郎を偲び、一般に安田講堂と呼ばれるようになる。

富山藩下級武士(足軽)の安田善悦の子として生まれた。安田家は善悦の代に士分の株を買った半農半士であった。

1858年(安政5年)、奉公人として江戸に出る。最初は玩具屋に、ついで鰹節屋兼両替商に勤めた。25歳で独立し、乾物と両替を商う安田商店を開業した。やがて安田銀行(後の富士銀行。現在のみずほフィナンシャルグループ)を設立し、その後には損保会社(現在の損害保険ジャパン)、生保会社(現在の明治安田生命保険)、東京建物等を次々と設立した。

1870年代には北海道で最初の私鉄である釧路鉄道(本社 安田銀行本店)を敷設し、硫黄鉱山開発や硫黄の輸送および加工のための蒸気機関の燃料調達を目的として、釧路炭田(後の太平洋興発の前身)を開発した。

北米への硫黄輸出のために、それまで小さな漁港に過ぎなかった釧路港を特別輸出港に指定させた。現在のみずほ銀行釧路支店の礎となる根室銀行を設立し、魚場集落だった釧路は道東最大の都市へと急激に発展した。このように、金融財閥家の基礎は安田善次郎の手により釧路の硫黄鉱山経営と輸出で築かれたといわれている。

安田善次郎は自分の天職を金融業と定め、私的に事業を営むことを自ら戒めたが、同郷だった浅野総一郎(浅野財閥の祖)の事業を支援するなど事業の育成を惜しむことはなかった(現在の鶴見線である鶴見臨港鉄道の安善駅は善次郎の名前に因み、浅野が命名した。)。

また安田善次郎は、日本電気鉄道や帝国ホテルの設立発起人、東京電燈会社や南満州鉄道への参画、日銀の監事など、この時代の国家運営にも深く関わった。

1876年(明治9年)第三国立銀行初代頭取に就任。1921年(大正10年)、安田善次郎は釧路地方開発の功績で釧路区(現釧路市)から表彰された。また、東京市に慈善事業費として300万円を寄附したほか東京帝国大学に講堂建築費として100万円を寄附した。1902年(明治35年)、1909年(明治42年)には早稲田大学にも寄附し学苑最初の校賓に推された。

生誕 天保9年10月9日〈1838年11月25日〉

命日 大正10年〈1921年〉9月28日

正徳院釈善貞楪山大居士

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