「 諸宗派の出来事 」 一覧

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山野愛子

(聖鋏観音像が祀られるハサミ塚) 山野愛子は1909年1月20日に東京都で生まれ、1995年7月31日に死去しました。日本の美容家で、日本美容界のパイオニアとして献身し、ミス・インターナショナル、ミス ...

清水寺は北法相宗に

1965年、京都の清水寺は北法相宗として法相宗から独立し、法相宗は興福寺、薬師寺の2本山が統括するにいたった。 << 戻る

法隆寺は聖徳宗に

第2次大戦後の1950年、法隆寺は聖徳宗を名乗って法相宗から離脱した。 << 戻る

鞍馬弘教の成立(鞍馬寺)

千二百余年前、鞍馬寺を開創した鑑禎上人は律宗に属し、藤原伊勢人は、鎮護国家の毘沙門天と慈悲の観音を一体として併せて祀りました。中興の祖、峯延上人は真言宗の十禅師とも言われています。後に天台宗の影響が強 ...

伊藤左千夫

伊藤左千夫は1864年に千葉県で生まれ、1913年7月30日に脳溢血が原因で死去しました。明治時代から大正時代にかけて活躍した歌人・小説家です。歌人としては正岡子規の実質的な後継者として歌集『左千夫歌 ...

律宗として独立

明治初期には、唐招提寺を例外として他の律宗寺院は全て真言宗に所轄されましたが、1900年(明治33年)律宗として独立しました。 << 戻る

興福寺、薬師寺、法隆寺の3寺が法相宗の大本山に

1882年に興福寺、薬師寺、法隆寺の3寺が法相宗の大本山となった。 << 戻る

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大教院開院

1873(明治六)年1月、大教院開院。明治維新当時、新政府は天皇を中心とした神道思想(大教(だいきょう))によって国をまとめあげようと考えました。これを人々に広めるために教導職(きょうどうしょく)が設 ...

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宗旨人別帳、寺請檀家制度廃止

1871(明治四)年4月、戸籍法改正され宗旨人別帳、寺請檀家制度廃止。 << 戻る

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神仏分離令、廃仏毀釈

1868(明治元)年3月、祭政一致の制を復活。政府神仏分離令出す。廃仏毀釈 によって、寺院仏像などの破却・焼打が各地で起こる。 << 戻る

青岸寺と改称

慶安3年(1650年)、曹洞宗に改宗し青岸寺と改称した。 << 戻る

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宗門改と寺請檀家制度を実施

1640(寛永一七)年、江戸幕府、宗門改役を設置し、宗門改と寺請檀家制度が実施される。宗旨人別帳作成。 << 戻る

米泉寺(青岸寺)の創建

延文年間(1356年~1381年)の創建と伝えられる。もとは太尾山米泉寺と称していた。 << 戻る

法明上人による融通念仏復興

元亨元年(1321) 11月15日夜、深江の草庵で法明上人の前に石清水八幡大士が来現して、「永らく融通念仏の法燈を伝授する器を待っていたが、あなたこそその人材である」と告げ融通念仏の口伝を授与し、その ...

一遍上人示寂

正応2年(1289)8月23日、一遍上人51歳の時。神戸の観音堂(現・神戸市兵庫区、真光寺)において時衆や信者らに見守られながら静かに示寂されます。数多く残される遊行姿の肖像画や銅像からは、辛く厳しい ...

踊り念仏の始まり

弘安2年(1279年)、信濃国佐久、小田切の里では、集まった時衆(人々)と念仏を唱えていたところ、一遍上人をはじめ時衆らが踊りだしました。これが踊り念仏の始まりです。一遍上人の踊り念仏は、激しい踊りに ...

一遍上人、熊野での成道(時宗の開宗)

文永11年(1274)、遊行・賦算をしながら、熊野へ向かっていた道中、ある出来事が一遍上人を思い悩ませます。熊野山中で出会った一人の僧に念仏札を受けるように勧めたときに、信心が起こらないので受け取れな ...

一遍上人の遊行

再び修行する決心を固められた一遍上人は、故郷へ戻り、窪寺という閑室にこもり一人念仏三昧されます。この三年間の参籠の間に「十一不二頌じゅういちふにじゅ」(一遍上人の悟り境地を表す漢詩)を感得されました。 ...

一遍上人の再出家

再出家することになり最初に、文永8(1271)年信濃国(長野県長野市)の善光寺を訪れました。ここで「二河白道図にがびゃくどうず」を写して自分の本尊とされました。「二河白道」とは、唐の善導大師が“旅人・ ...

一遍上人の出生と入門

一遍上人は延応元年(1239)、伊予(愛媛県松山市)の豪族である河野家の次男として誕生されました。幼名は松寿丸といい、父は河野七郎通広、祖父は河野四郎通信です。 10歳の時、母を亡くし、父の命を受けて ...

実相院(光円寺)に寺院設立の証が与えられる

光円寺の原名を実相寺という。頼賢という僧侶が相模小田原に実相院を開いて第一祖となった。実相院の建立年は不明であるが、寛喜3年(1231)に寺院設立の証を与えられているのはわかっているから、そのときから ...

興福寺奏状

元久2(1205)年9月、興福寺衆徒、後鳥羽院に念仏禁断の奏状に九箇条の過失を書きそえ強訴しました。法然上人およびその門弟、とくに法本房行空と安楽房遵西の処罰を強訴しました。 その内容は勅許(ちょっき ...

運慶・快慶らが東大寺の南大門金剛力士像をつくる

1203年、運慶・快慶らが東大寺の南大門金剛力士像をつくる。 << 戻る

大念仏寺の開創

大治2年(1127年)鳥羽上皇の勅願により良忍上人が大念仏寺を開創されました。摂津国住吉郡平野庄(現・大阪市平野区)の領主の平野殿坂上広野の私邸内に建立した融通念仏の道場の菩提所・修楽寺の別院が前身と ...

良忍上人、念仏勧進を始める

ある時、鞍馬寺の多聞天王が威厳に満ちたお姿を現して良忍上人にいわれるには、 「あなたは先に仏さまから尊い融通念仏を授かったのに、どうしてそれを人びとに勧めて苦しみの衆生を救済しないのか」 このお言葉に ...

融通念仏宗の開宗

永久5年(1117)5月15日 午の刻(正午)良忍上人が大原来迎院にて一心に念仏を称えている修行中、阿弥陀仏が速疾往生といって、後の世を待たずに、現世にだれもが速やかに智恵がかがやき喜び溢れる幸せの世 ...

良忍上人の誕生

延久4年(1072)尾張国知多郡の富田荘(現愛知県東海市富木島町)に誕生しました。父は藤原秦氏兵曹道武、母は熱田神宮大宮司第二十四代、藤原秀範の息女でした。生まれつき美声の持ち主だったところから、幼名 ...

釈氏要覧 (しゃくしようらん)

1019年(天禧3年)、宋(中国)の道誠(どうせい)が編纂した全3巻から成る仏教の故実や名目の簡潔な解説書です。 << 戻る

心光寺の開創

心光寺は、菅原道真の四男・菅原淳茂が父の菩提を弔うために903年に開創したと伝えられている。 << 戻る

三論宗中興の聖宝

三論宗の中興の祖とされる聖宝(832年 - 909年)は、元興寺流の出身です。 三論宗はインドの龍樹の中論・十二門論、その弟子提婆の百論の三論を所依(基盤とする)の経典とする論宗(経を所依とせず、論を ...

成実宗が伝わる

成実宗(じょうじつしゅう)は、百済の道蔵が日本へ伝えました。延暦25年(806年)の太政官符によれば、三論業3名のうち、1名には成実論を読ませた、とあります。俗諦と真諦とを対立させ、俗諦の存在を認める ...



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