「 法話(mp3)便り 」 一覧

第3話 今、いのちがあなたを生きている 玉光順正(山陽教区 光明寺住職)

親鸞聖人は同じ「教行信証」の中で「それ、真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり」と言われています。真実の教とは大無量寿経なんだと言われています。これをもって、大無量寿経だけが真実の教であって ...

自分のなにげない行動が世界を変える力となる

ちょうどこの時期、福井県の曹洞宗大本山永平寺では、たくさんの檀信徒の皆様と、僧侶が集い、仏さまとのご縁を結ぶ、年に一度の大法要が営まれております。(リンク先より) ・自分のなにげない行動が世界を変える ...

第2話 今、いのちがあなたを生きている 玉光順正(山陽教区 光明寺住職)

仏教徒である限り、誰もが従うこととして三帰依ということがあります。「帰依仏、帰依法、帰依僧」。お釈迦さま、釈尊以来、全ての仏教徒は三宝に帰依するということを、生活の中心においています。(リンク先より) ...

親孝行、したい時には親はなし

お釈迦さまのおかあさんは、お釈迦さまをお産みになられた後、産後の肥立が悪く、七日後に亡くなってしまいました。今も昔も、女性にとって出産というのは大変なことであります。(リンク先より) ・親孝行、したい ...

第1話 今、いのちがあなたを生きている 玉光順正(山陽教区 光明寺住職)

親鸞聖人の書かれた「教行信証」の中に、「大無量寿経真実之教浄土真宗」という表現があります。浄土真宗を真実の教(おしえ)と言われるのであります。勿論、浄土真宗以外の他の宗教、宗派でもそれぞれ自分の宗教、 ...

切に思うことは必ずとぐるなり

この四月から新しい職場に就職の決まった方は、大きな期待と少しの不安を抱えて仕事に励んでいることでしょう。就職、それは自分が社会に尽くすプロとしての第一歩です。(リンク先より) ・切に思うことは必ずとぐ ...

第6話 今、いのちがあなたを生きている 尾畑 文正(三重教区 泉称寺住職)

親鸞聖人の著された和讚、和讚とは、「やわらぎほめる」という言葉通りに、漢文ではなく仮名交じりの大和言葉で書かれた歌です。その和讚に「釈迦如来かくれましまして/2千余年になりたまう/正像の二時はおわりに ...

第5話 今、いのちがあなたを生きている 尾畑 文正(三重教区 泉称寺住職)

かつて、世界で最初に宇宙飛行士となった旧ソビエト連邦のユージン・ガガーリンはその時の感動を「地球は青かった」と言いました。彼は国境もない、民族、人種の違いもない、地球という名の一つの世界を見たのでしょ ...

春は【出会いと別れの季節】

この季節を迎えると不思議に、かってローカル線の汽車の中での、幾度か転勤を繰り返し、定年退職を迎えたに見える御夫婦の姿と会話を思い出します。(リンク先より) ・春は【出会いと別れの季節】

第4話 今、いのちがあなたを生きている 尾畑 文正(三重教区 泉称寺住職)

このスマトラ沖地震の津波で、海岸部を中心にして20数万人が犠牲になったと聞きます。本当に心塞がれる思いです。スマトラ沖から遠く離れたスリランカの海岸部にも津波は大変な被害をもたらしました。私にはスリラ ...

ご先祖さまと強い絆で結ばれている私たち

今日は春のお彼岸の三日目になりました。冬の長かった北海道のこの地も、ようやく春になって雪解け水が沢を満たし、木々に大地に潤いをもたらすようになりました。(リンク先より) ・ご先祖さまと強い絆で結ばれて ...

第3話 今、いのちがあなたを生きている 尾畑 文正(三重教区 泉称寺住職)

変わったのは私の身体だけではありません。私を取り巻く風景もすっかり変わってしまいました。故郷の白砂の美しい海岸もすっかり埋め立てられ、今は近代的工場の群れです。「我は海の子、白波の」と唄われるに相応し ...

相手の立場に自分を置き換えて考えること

道元さまは、人にものを言う時には、その言葉が御仏の教えであるか?その人の幸せとなるか?今言うべきなのか?と三度考えた後相手の幸せを願って言いなさい、と説かれました。(リンク先より) ・相手の立場に自分 ...

第2話 今、いのちがあなたを生きている 尾畑 文正(三重教区 泉称寺住職)

ピピ島は俳優として有名なレオナルド・ディカプリオ主演の映画「ザ・ビーチ」の撮影現場になったところです。私は急遽仕事が入ったために、当日ピピ島には行けなくて、津波被害には遭いませんでした。だから、今回の ...

戦争のない世界が一日も早く訪れることを

ブラジルのサンパウロ、曹洞宗大本山別院、佛心寺、開教五十周年のお祝いの法要に参加して、その帰りにニューヨークに寄りました。なんとあの有名な五人組「スマップ」がブロードウェイに全員集合したのと、ちょうど ...

第1話 今、いのちがあなたを生きている 尾畑 文正(三重教区 泉称寺住職)

先月、昨年の新潟県中越地震で、大きな被害を受けた山古志村近くで、真宗大谷派主催の研修会がありました。震災から何が問われているのか。被災者、そして、ボランティアの方から現地で学ぶ研修会です。(リンク先よ ...

今という瞬間にしか存在しない、かけがえのない生命

厳しかった寒さの季節も、ようやく峠をこえようとしています。凍てついた北海道の冬の夜、私はたびたび澄み切ったえりもの空を眺め、星の輝きに魅せられました。(リンク先より) ・今という瞬間にしか存在しない、 ...

第6話「いのちの声」黒田 進(長浜教区 満立寺住職)

「ごえんさん、あのな、年寄りは漬物石みたいなもんなんや。何にもしなくても、ドンとすわっているだけでいいんや。年をとった人はな、生きているだけですごいことなんや。」もう亡くなって随分になるのですが、この ...

この世界は美しいものだし、人間のいのちはすばらしいものだ

お釈迦様は今から2600年前に80歳でお亡くなりになられました。 80歳を迎え、自分の最後もそう遠くはない、そう感じられたのでしょう。自分の生まれ育った地にて最後を迎えたいと、当時住まわれていたラージ ...

ささやかな「幸せ」

家族団らんの時間がない、趣味にさく時間がない、もう何年も旅に出たことがない、気が置けない友達はそれぞれ忙しい、うちには仏壇がないなど、心に平穏を感じることが今は難しい時代と言えるのかも知れません。(リ ...

第5話「「いのち」ということ その2」黒田 進(長浜教区 満立寺住職)

これは私の30代の頃のことですが、高史明(コサミョン)という先生のお話を聞きました。この方は在日コリアンの方ですが、小説家で親鸞聖人の教えを深くいただいている方です。(リンク先より) ・第5話「「いの ...

心の込もった『ありがとう』

ヒトとヒトとの絆。我々は一人で生きている訳ではありません。様々な人間関係、人間同士の絆によって、生かされているのです。(リンク先より) ・心の込もった『ありがとう』

第4話「「いのち」ということ」黒田 進(長浜教区 満立寺住職)

生命の生という字は生きるという字ですが、イノチとかウマレル、イキルと読みますが、もともと草が地上に芽を出し、発育する形を表した字だそうです。そして生命の命という字は、イノチとかオオセ、ミコトノリとも読 ...

亡き人と私が一つになります

二年ほど前のことですが、家の仏壇にヨーグルトが供えてありました。聞くとお客さんから子供達への頂き物、とのこと。(リンク先より) ・亡き人と私が一つになります

第3話「呼びかけを聞く」黒田 進(長浜教区 満立寺住職)

「おはよう」「こんにちは」にはじまって、「おやすみ」にいたるまで。また「こうしたらいいのでないか」「こんなことがあったよ」とか、もう1日の中でどれほど家族の中で、また隣近所などの交わりの中で呼びかけ合 ...

期待から希望へと切り替える

人は人に期待をし、その期待があるがために尽くしたりします。 しかし、結果として自分が思うようにならなかった場合、それが裏切りに見えたり、更には失望へと繋がっていきます。(リンク先より) ・期待から希望 ...

第2話「今を生きる」黒田 進(長浜教区 満立寺住職)

「いつだったか、住職の法話の中で、あなたは今を生きていますか。今を忘れて生きているのではないですかと言われ、ドキンとしました。本当にその通りだと思ったのです。」と。私はその話を聞きながら、改めて「今を ...

生きている事で誰かがどこかで大きな励みとなり力となっている

お檀家のお父様が癌を患い、入退院を繰り返していました。ある時、ご自宅にご先祖様のお命日でお伺いをした時、たまたま外泊でお帰りになっておられました。(リンク先より) ・生きている事で誰かがどこかで大きな ...

第1話「無言の教え」黒田 進(長浜教区 満立寺住職)

私は日頃、生きていることをあたり前にして、いのちのことなど気にもかけずに過ごしております。そういう私たちが、否応なく、生きていること、そしていのちについて目を向けさせられるのは、大切な人を亡くした時で ...

人と接して仏となる

殺伐としたこの時代、親切な言葉を掛けられても相手の心の裏側に何か有るのではと素直に受けとめられないという難しく淋しい世の中になってしまった様な気が致します。(リンク先より) ・人と接して仏となる

第6話「今、いのちがあなたを生きている」渡邉尚子(岡崎教区 守綱寺坊守)

南無阿弥陀仏は、自我に立つ私の思いを、破る言葉です。私の自我に立つ執着の思いが、苦悩の元であった。その執着が破れてみれば、私のそのままが、広大無辺。それが、今回宗祖親鸞聖人七百五十回ご遠忌のテーマ「今 ...

第5話「生活をもって信心をみがく」渡邉尚子(岡崎教区 守綱寺坊守)

見えるいのちを支えるいのち、本当のわたし、その名前が、「南無阿弥陀仏」であります。わたしは、阿弥陀の本願をすでに、わたしといただいていました。それにもかかわらず、そのことを見失って、みえるいのちにばか ...



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