「 ただ一つの事に向き合う 」 一覧

『典座教訓』19、親心は無償の心

いわゆる、老心とは、父母の心なり。譬えば父母の一子を念うがごとく、三宝を存念すること一子を念うが如くせよ。貧者窮者、強に一子を愛育す。其の志如何。外人識らず、父と作り母と作って方に之を識る。自身の貧富 ...

『典座教訓』7、一茎菜を拈じて、丈六身と作し

この理必然なるすら、なお未だ明了ならざるは、卒に思議紛飛して其の野馬の如く、情念奔馳して林猿に同じき由ってなり。若し彼の猿馬をして一旦退歩返照せしめば、自然に打成一片ならん。是れ乃ち物の所転を被るとも ...

『典座教訓』4、心を他のことに移さない

上古有道の高士、自ら手ずから精しく至り、之を修することこの如し。後来の晩進、之を怠慢すべけんか。先来云ふ、「典座は絆を以て道心となす」と。米砂誤って淘り去ること有るが如きは、自ら手ずから検点せよ。『清 ...

『典座教訓』2、心が整えば味も整う

所以に世俗の食厨子及び饌夫等に同じからざる者か。山僧在宋の時、暇日前資勤旧等に咨問するに、彼等聊か見聞を挙して、以て山僧が為めに説く。この説似は、古来有道の仏祖、遺す所の骨隨なり。大抵すべからく『禅苑 ...

『正法眼蔵随聞記』25、無常迅速なり、生死事大なり

示して云く、無常迅速なり、生死事大なり。しばらく存命の間、業を修し学を好まんには、ただ仏道を行じ仏法を学すべきなり。 文筆詩歌等その詮なきなり。捨つべき道理左右に及ばず。仏法を学し仏道を修するにもなお ...

『正法眼蔵随聞記』28、人は世間の人も衆事を兼ね学して

夜話に云く、人は世間の人も、衆事を兼ね学していづれも能もせざらんよりは、ただ一事を能して、人前にしてもしつべきほどに学すべきなり。況んや出世の仏法は、無始より以来修習せざる法なり。故に今もうとし。我が ...

『正法眼蔵随聞記』46、学人問うて云く某甲なお学道心に繋けて

一日学人問うて云く、「某甲なを学道心に繋けて年月を運ぶといえども、いまだ省悟の分あらず。古人多く道う、聡明霊利に依らず、有知明敏をも用いずと。しかあれば、我が身下根劣智なればとて卑下すべきにもあらずと ...

『正法眼蔵随聞記』30、学道の人、衣粮を煩わす事なかれ

示して云く、学道の人、衣粮を煩わす事なかれ。ただ仏制を守って、心を世事に出す事なかれ。仏言く、「衣服に糞掃衣あり、食に常乞食あり。」と。いづれの世にかこの二事尽くる事有らん。無常迅速なるを忘れて徒らに ...

『正法眼蔵随聞記』41、故僧正云く、衆各用いる所の衣粮等

夜話に云く、故僧正云く、「衆各用いる所の衣粮等の事、予が与えると思う事なかれ。皆是れ諸天の供ずる所なり。我れは取り次ぎ人に当ったるばかりなり。また各一期の命分具足す。奔走する事なかれ。」と常にすすめら ...

『正法眼蔵随聞記』92、古人多くは云く光陰虚しく度る事なかれ

示して云く、古人多くは云く、「光陰虚しく度る事なかれ。」と。あるいは云く、「時光、徒らに過ごす事なかれ。」と。 学道の人、すべからく寸陰を惜しむべし。露命消えやすし、時光すみやかに移る。しばらく存ずる ...

『正法眼蔵随聞記』62、宋土の海門禅師

一日示して云く、宋土の海門禅師、天童の長老たりし時、会下に元首座と云う僧ありき。この人、得法悟道の人なり。長老にもこえたり。 有る時、夜、方丈に参じて焼香礼拝して云く、「請うらくは師、後堂首座を許せ。 ...

『正法眼蔵随聞記』40、故建仁寺僧正の伝をば

夜話に云く、故建仁寺僧正の伝をば顕兼の中納言入道書いたるなり。その時辞する言に云く、「儒者に書かせらるべきなり。その故は、儒者はもとより身を忘れて、幼きより長るまで学問を本とす。故に書いたるものに誤り ...

『正法眼蔵随聞記』44、学道の人、世間の人に智者もの知りと知られては無用なり

夜話に云く、学道の人、世間の人に、智者もの知りと知られては無用なり。 真実求道の人の一人もあらん時は、我が知るところの仏祖の法を説かざる事あるべからず。たとひ我れを殺さんとしたる人なりとも、真実の道を ...

『正法眼蔵随聞記』84、仏法のためには身命をおしむ事なかれ

一日示して云く、仏法のためには身命をおしむ事なかれ。俗なお道を思えば、身命をすて親族をかえりみず忠節をつくす。是れを忠臣とも賢者とも云うなり。 昔、漢の高祖、隣国と軍を興す。時にある臣下の母、敵国にあ ...

『正法眼蔵随聞記』42、我れ在宋の時禅院にして古人の語録を見し時

一日示して云く、我れ在宋の時、禅院にして古人の語録を見し時、ある西川の僧の道者にてありしが、我れに問うて云く、「何の用ぞ。」 云く、「郷里に帰って人を化せん。」 僧云く、「何の用ぞ。」 云く、「利生の ...

『正法眼蔵随聞記』94、奘問うて云く、叢林の勤学の行履と云うは

一日奘問うて云く、「叢林の勤学の行履と云うは如何。」 示して云く、只管打坐なり。あるいは閣上、あるいは桜下にして常坐をいとなむ。人に交わりて物語をせず、聾者の如く瘂者の如くにして常に独坐を好むなり。 ...

『典座教訓』(てんぞきょうくん)

典座教訓とは、修行道場で食事を担当する役職である「典座」の心がまえを示した書です。1237年に道元禅師により、自身の中国での修行の経験を踏まえて著されました。それまで日本では注目されることなく軽視され ...



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