【仏教用語/人物集 索引】

良寛(りょうかん)

投稿日:1831年1月6日 更新日:

 
江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。号は大愚。本名は山本栄蔵。

18歳の時、突如出家し、子供の頃に勉学を積んだ曹洞宗海嶽山光照寺(出雲崎町尼瀬)にて修行をする。

安永8年(1779年)22歳の時、備中玉島(現・岡山県倉敷市)の円通寺の国仙和尚を"生涯の師"と定め、師事する。

寛政2年(1790年)印加(修行を終えた者が一人前の僧としての証明)を賜る。翌年、良寛34歳の時「好きなように旅をするが良い」と言い残し世を去った国仙和尚の言葉を受け、諸国を巡り始めた。

48歳の時、越後国蒲原郡国上村(現燕市)国上山(くがみやま)国上寺(こくじょうじ)の五合庵(一日五合の米があれば良い、と農家から貰い受けたことからこの名が付けられた)にて書を学ぶ。『秋萩帖』はその手本として自ら選んだ。五合庵の良寛は何事にも捕らわれず、何者にも煩わせることもない、といった生活だった。筍が顔を覗かせれば居間を譲り、子供にせがまれれば、日が落ちるまで鞠付きに興じるのだった。良寛は歌に「この子らと 手鞠付きつつ遊ぶ春 日はくれずともよし」と残している。

五合庵での階段の昇り降りが辛くなり、61歳の時、乙子神社境内の草庵に居を構えた。円熟期に達した良寛の書はこの時に生まれている。

70歳の時、島崎村(現長岡市)の木村元右衛門邸内にそれぞれ住んだ。無欲恬淡な性格で、生涯寺を持たず、諸民に信頼され、良く教化に努めた。

最期を看取った弟子の貞心尼が『蓮の露』に良寛の和歌を集めた。良寛は他に漢詩、狂歌、俳句、俗謡に巧みで、書の達人でもあった(故に後世の贋作が多い)。新潟県長岡市島崎の(西證院)隆泉寺に眠る。

生誕 宝暦8年10月2日(1758年11月2日)

命日 天保2年1月6日(1831年2月18日)

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