【仏教用語/人物集 索引】

毛利元就(もうりもとなり)- 三本の矢

投稿日:1571年6月14日 更新日:

 
戦国時代の武将・大名。毛利氏の第12代当主。 安芸吉田荘の国人領主・毛利弘元の次男。毛利氏の本姓は大江氏で、大江広元の四男・毛利季光を祖とする。家紋は一文字三星紋。元就は用意周到かつ合理的な策略および危険を顧みない駆け引きで、自軍を勝利へ導く策略家として知られている。

家督を継いだ時点では小規模な国人領主に過ぎなかった毛利家を、一代で山陽・山陰10か国を領有する戦国大名の雄にまで成長させた。子孫は長州藩の藩主となったことから、同藩の始祖としても位置づけられる人物である。

三本の矢

死ぬ間際の元就が、3人の息子(隆元・元春・隆景)を枕元に呼び寄せて教訓を教えたという逸話がある。元就は最初に、1本の矢を息子たちに渡して折らせ、次はさらに3本の矢束を折るよう命じた。息子たちは誰も3本の矢束を折ることができなかったことから、1本では脆い矢も束になれば頑丈になることから、3兄弟の結束を強く訴えかけたというものである。

この逸話は「三本の矢」または「三矢の訓」として有名だが、実際には元就よりも隆元が早世しているなど史実とは食い違う点も多く、弘治3年(1557年)に元就が書いた直筆書状『三子教訓状』に由来する創作とされる。

生誕 明応6年3月14日(1497年4月16日)(グレゴリオ暦1497年4月25日)

命日 元亀2年6月14日[1](1571年7月6日)

洞春寺殿日頼洞春大居士

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