岩手県紫波郡の諸宗派寺院

投稿日:2017年11月8日 更新日:

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覚王寺 本山修験宗 岩手県紫波郡紫波町北日詰字下東ノ坊61

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岩手県の特色 地域によって違いがあります

岩手県の一部では、結婚式や葬式を家で開くとき、来客を食事でもてなすのに「おちつき」が振る舞われます。野菜などが入った汁物のうどんであったり、あんやくるみ、ごまの餅を出すこともあり、これらをひっくるめて「おちつき」と呼びます。由来ははっきりとしませんが、来てくれた人に「落ち着いてもらうため」の食事と言われています。
岩手県盛岡市では提灯やお供えものを飾った舟に火をつけて流す「舟っこ流し」という、盆の送り火・精霊舟の一種があります。舟は竜の形をしているものが多く、お札や遺影を貼り、提灯や供物などで飾りたてた舟は明治橋上流に集められ、儀式のあと有志がひいて一艘ずつ川へ流され火をつける行事です。「舟っこ流し」の始まりは、盛岡藩四代藩主・南部行信の七女・麻久子姫が享保年間(1716~1736年)に川施餓鬼(かわせがき)の大法要を行ったことからと言われています。また、1815年に津志田遊郭の遊女たちが乗った舟が氾濫した北上川で転覆し、溺れ死んだ霊を慰めるため舟に位牌と供物を乗せて流すようになり、以後盛んに行われるようになりました。今ではお盆で帰ってきた祖先の霊を送り、無病息災を祈る行事となっています。
岩手県遠野市では「灯籠木(とおろぎ)」という風習があり、三年以内に亡くなった故人の御宅には、戒名などが書かれた白く細長い布と提灯が高く掲げられ、面をかぶった男たちがドロノキ(柳の一種)を薄く削った白いたてがみを風になびかせて勇壮に舞い町内を回る鹿踊りの一行は、灯籠木を揚げている家に立ち寄り庭先で「位牌誉(いはいぼ)め」という独特の踊りを奉じ、位牌に焼香し手をあわせます。迎える家では縁側に亡き家族の遺影と位牌を置き踊りを見守ります。
「三途の川の渡り賃」というと「六文」と相場が決まっています。棺にこの渡し賃を入れる風習は全国的にも有名ですが、岩手県では、紙に「100万円」などと書いて棺に入れる風習があり、中には「1千万円」とか「1億円」と書くこともあるようです。
岩手県の多くの地域で、逝去から葬儀式までを3日~5日間空ける場合があります。沿岸部などでは、逝去から葬儀まで毎晩供養を行い、これを全て「お通夜」として営む場合があります。県央部などでは、火葬の前日にお通夜を営み、通夜が終わった夜にもう一度同じような内容の儀式を営む「お逮夜」を行います。この逮夜は、近親者のみで行うことがならわしで、一般参列者は遠慮するのが一般的です。

通夜の後に火葬が行なわれることが一般的です。その際、遺影・死花などを一人ずつ携えて火葬場に向かいます。火葬場で僧侶の読経のあと遺族、参列者が焼香し、遺族は参列者に挨拶する。収骨のあと遺骨を祭壇に安置したら、葬儀の準備をします。

岩手県では先に参列者が葬儀会場に入り、次に遺族が行列して入場することがあります。その後、僧侶が入場し、葬儀が始まるという流れの場合があります。参列者は焼香をすまし遺族に挨拶して帰、香典返しはその場返しが多いようです。埋葬は葬儀当日に行なうことが多いです。

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