小栗忠順(おぐり ただまさ)

投稿日:1868年4月6日 更新日:

 
江戸時代末期の幕臣、勘定奉行、江戸町奉行、外国奉行。 通称は又一。「又一」は、代々小栗家当主が名乗る名前。安政6年、従五位下豊後守に叙任。文久3年、上野介と改名した。三河小栗氏第12代当主で、父方の祖父は同じく勘定奉行を務めた中川忠英。

安政7年(1860年)、日米修好通商条約批准のため米艦ポーハタン号で渡米し、地球を一周して帰国した。その後は多くの奉行を務め、江戸幕府の財政再建や、フランス公使レオン・ロッシュに依頼しての洋式軍隊の整備、横須賀製鉄所の建設などを行う。

生誕 文政10年6月23日(1827年7月16日)

命日 慶応4年閏4月6日(1868年5月27日)

陽寿院殿法岳浄性大居士

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